家建てが実現

マイホームが欲しい

貧乏な人と話をしてみると、何だか貧乏を楽しんでいるような気がしてならない感じがします。「いやいや、楽しくはないですょ」と言われそうですが、誰かから強制的にアレコレしなさいとか、命令された訳でもありません。現状はどうであれ、結局は自分の判断で歩いてきた結果の今があるのです。しかも問題なのは無意識にしているという事です。だから貧乏を楽しんでいる、という事に気が付いていないだけなのです。無意識に貧乏を楽しんでいるのに、否定するという事は、焦点が合っていないのです。目標は自分の家に住むことでありながら、やっている事は目先のハエを追うようなことばかりで、何も成果として現れてこないのです。考えることとやることが違うので、すべてに対してチグハグな感じがしてならない。

うーーむ、ひょっとして自分もそうなのかも知れない
ハタと自分を振り返ってみるクセがあります

かねてから仕事仲間が、家を建てたいと言っていました。ボロいアパートに嫁さんと二人暮し、50を過ぎているので、ちょいとあせっている感じがします。この職人は腕は良いのに、いまいちピントがずれいる。そのため、仕事はどんどんあるのに生活が貧疎なのだ。なぜだろう。今まで何かと相談を持ちかけられてはいた。

「家を建てたいのだがローンが組めるかなー」
「仕事が忙しいので銀行にもいけない」
「サラ金の処理は」
「組合では何もしてくれない」

っとか。いろいろなトコに相談は行くが、不満ばかり言って、実行しようとしないのだ。その都度、周りの意見より、とにかく本家本元の銀行へ交渉しろ。今考えているということは、基本的には実現できることだから、周りの雑念を見ないで、自分に自信をもて、っとか、その人をくすぐるように話をしてきた。「でもー」とか言って、できない理由ばかりを並べて、なかなか動いてくれない。そして会うたびに、同じ事を繰り返して聞いてくるので、そのうちにうんざりしてきた。当然アドバイスもしなくなり「好きにすればー」っと、いわば無視するようになってきました。仕事関係で仕方なく付き合ってはいるけど、こんな人といっしょにいてはダメだな、そろそろ縁を切ろう。

良い物件あり

っとか、思っていたところに
「土地つき住宅の良い物件があった」と知らせてきた

焦っていたのが、自分なりに動いていたのだ。私だって決して裕福ではないけど、狭いながらも、小さな一戸建てを何とか維持しています。参考にしたくて、いろいろと話しかけてくるのです。今回もいろんな事が知りたいらしく、久々に話しかけてきました。「良い物件があった」と聞いた時に、思わず「おーっそうかー」とか言って、何だかすごく嬉しかったです。「その気になったかー大丈夫だ。コレで必ず実現するよ」家建てが実現しているイメージがハッキリと浮かびましたです。

「よしよし、これで大丈夫だ。がんばるんだぞ」です。何だか無責任に言っている感じもしますが、人間くすぐれば調子の乗って木に上るのです。っで、「っお、木に登ってやんの」ムフフ、目がキリリと輝いて「よーしっ」という雰囲気がありますものですから、絶対に実現できると思います。

ずーっと前から、「あーだったら、こーだったら」と、何かと、理由をつけては、肝心なところでイモを引いていたのだが、今日は少しトーンが高いので、よほど物件が気にいったんだと思います。家が欲しいという執念で、家建て実現へのスタートに立てた訳です。しかし、相変わらず、こーなんだからダメかなーとか、銀行もどこがっとか、まだ言ってる。

「もーっウンヌン言わずに、とにかくうごけー」

周りの雑念を一切見ないで、その物件を手に入れることだけを考えて行動すれば、必ず実現できるよ。今、乗ってるんだから、その勢いで一気に買ってしまえ、絶対にうまいくから。「やろう やろう」っとか、後先考えずに無責任ぎみに、さらに投げやり的に言っていたような気がします。詳しく理屈を言うよりも、家を持つことだけを見て、くすぐるようにしていただけなのですが、なんだか、パワーが渦巻いてくるのかな。

良い感じです

家建てが実現

そして、なんと、なんと、
「銀行からの融資の承認が、できそうだ」っとか言ってきた

すごい飛躍です。現場を見ても、その人にピッタリの物件で、切羽詰まった感じもするが、マイホーム欲しさ一筋で動いたらしい。これで良いカモです「っお、良いぞ、いいぞーっ」です。

ちょっとまってょ、動いたことに対しては、私も意見を言いたくなる。そして、いろいろ難問をたずねてきたが、銀行が善処したという事は、融資しても良いという前提なので、絶対に実現できるから、そのことだけ考えて、押し通すしかない。後のことは、どうにかなる。というよりも、どうにかしないとイカンです。私も詳しく突っ込んだ専門的なアドバイスはできないが、その時期は、人間の行動パターについて興味をもっており、何かと調べては、自分なりの理論を作っていた時なので、特に考え方のアドバイスをしていたように思います。

自分が一番いい答えが出るように「くすぐってあげる」というアドバイスです。

そこに住んでいる自分を、イメージし続けるといいょ。そうすることによって自然と答えがでてくるから。「できることだけ考えよう」っとか私なりにアドバイスしておいた。幸運にも、どんどん話はすすんで、ついに実現、基礎工事に入ったトコろなのです。

縁をきるのはやめよう

私の言ったことが、役にたったかどうかは分からないが、無理だと思っていたあいつが、とうとうマイホームを建てたという事実に、少なくとも

「自分が動けば実現するのだ」

と言うことをマジマジとみせられました。動くことの大切さが、なーんとなく分かったような感じです。そうだなー、縁をきるのはやめよう。来年の春には庭先で花見だな

うーーむ そこで本日の教訓です

私もたいしたアドバイスはできなかったけど、自分の経験から「信念を押し通していけば、自然と道は開ける」ということを確信していますから、それだけを声を大にしていったように思います。相談のほとんどは迷っているんですねー。一番いい答えは自分がもってるんですょ。それを気ずかせるための「考え方」に重点を置いてアドバイスするようにしているのです。

「でもー」っとかいったら
「いいから、とにかく動けー」っと言ってやる。

試練の時期

このころの私は、人生最大の挫折に出会った時期でした。毎日毎日を挫折の処理に追われながらも、辛抱と反省の繰り返しの時でもありました。そして、今までの自分の人生を振り返りながら「どうしたら上手く行くのか」「何か方程式らしいものがあるのでは」生意気にも、人生の法則とやらを考えながら、過ごしておりましたです。

いつの間にか、メモ魔になりきりながらも、だんだんと分かって来てはいるのですが、実践まではなかなかできませんでした。でも、この状態を繰り返していると、少しずつですが理解できるようになり、いつの間にか、考えていることを実行していることに気が付いたのです。

しかも無意識にです

長く考えて居ると、自分の中のもう一人の自分が答えをだしてくれて、サインを送ってくることにも気が付きました。時々ヒラメクことがありますが、もう一人の自分が「あなたはこうしなさい」「今コレをするべきですよ」というサインです。良い悪いは別にして、ヒラメイたら何も考えずに、とにかく行動してみる事にしてからは、自然に良い感じになり、これで良かったということばかりです。うまくいったから良かった、という意味ではなく、逆にマレでして無しに等しいです。ほとんどが失敗した事ばかりで、無駄な動きばかりなのです。しかし、それが故の別な方法が分かってくるのです。

「アレー、こんな方法があったのか」です

っん、まてょ、うまく過ごして行く為には、動いてから失敗しなければ、自分にとって良い事に気が付かないでいるのカナ。そして「何が分からないかが分からない」っで、分からないなりに、ぼんやりと過ごしていたのカモ。と考えるようになって段々と少しずつ分かってくるような、そんな時期でありました。「何が分からないかが分からない」と考えるよりも「分からない事を分かろうとする」と頭を切り替えた方が、何かと得策で、楽に良い感じに人生が送れるような気がしました。

このような試練の時期なので、物件の見かた・融資の方法など、細かい専門的な事などに対してはアドバイスする事は出来ませんでしたが、その時までに気ずいた自分なりの考え方など、おもに精神面に集中して、あまり考えずに、背中を押す事だけを考えていたように思います。

「挫折の時期で、アドバイスするなんてどうかな」

とは思いましたが、何かにつけて聞いてくるので、私に対して感じるトコロがあったのでしょう。みごと家建てが実現して、春の花見をした時に、実現して良かったと同時に、自分の考え方がまとまっていく感じで成長していく姿が確認ができたようで、ダブル良かったです。これからもメモ魔で過ごしてまいります。

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