あくせく働くのは嫌だ

「最近しんどいょ」に即答

警備業をしていると業者の大型車に同乗する事があります。若い職人がギリギリの時間で乗り込んで来たと同時に、開口一番「雨が降る日も仕事で、日曜日も出勤で休みがなくて、最近しんどいょ」と、言い訳じみた愚痴をこぼしている。その時に隣にいた役付きの先輩が言ったのです。「良い事ではないか、幸せな事じゃないか」即答です。その前後の会話は覚えていないけど、この言葉が強烈に印象が残りましたです。っで、その言葉いただきます

良い事ではないか、幸せな事じゃないか

この言葉すごく気に言ったのでいただきました。良いと思った事は、すぐ自分のものにしております。この時以来、誰かがグチなど言って来たら「良い事ではないか、幸せな事じゃないか」っと、同じことを言ってやります。そして「若いんだろ、働け、働け」さらに「おーい誰か、ムチ持ってこい」です。「ちょっと行ってきますょ」なんて言っても「ダッシュ、ダッシュー」とか言ってやる。少し冗談気味でオーバーに言うので、みんな笑っています。なんとなく気合が入りますので、もう口癖になりましたです。

忙しい時は何とかなる

大多数の人達は毎日あくせくと働いてますが、忙しい時は何とかなりますが、ヒマな時はどうにもならないものです。病気などでベッドで寝込んだりすると、何ともなりません。動けなくなった時に感じる、働ける事の大切さ、幸せさがしみじみと分かるというものです。嫌だと不満を言うよりも、嫌だと感じて働ける事への感謝です。

その時に何故か次のような言葉が頭に浮かんできました
お金持ちの人と貧乏な人がいて
庶民が暮らし易い国に何故ならないのでしょうか

暮らし易いとはどういう事なのでしょうか。お金がたくさんあって、好きな事ができて、毎日おもしろおかしく暮らせることでしょうか。たちまち贅沢病になってしまいます。働くことは良いけどあくせくはいやだ。もう少しお金さえあれば働ぎ甲斐もあるし、自分の能力が発揮できる。あくせく働いていては自分を見失ってしまう。私もこんな疑問をもっておりましたが、ある時から考え方を変えてみました。今いる現実は良いも悪いも自分の歩ん来た道。どんなに悪いことでも必ず良い面が隠されています。貧乏であるが故に食事も酒タバコもセーブしたり、うまく生きて行かれるように調整してくれております。いたって健康だし、生活だって何をするにも不自由なくできます。そのように考えてからは、良い事ばかり起こってくるような気がします。

庶民が暮らし易い国に何故ならないのはなぜか

仮にみんなが一億円もって裕福だとします。そうなると誰も働かないで、自由気ままに生活するはずです。工場などで働く人もいませんし、商店なども半減していきます。勿論バスも電車も動きません。何処へ行くにも何をするにも、誰も働かないのですから、移動すらできないです。社会そのものが成り立ちません、国民総ダラダラで、何が何やら分からないようになってしまいます。大多数の人達は言いなり生活でないと、この世は成り立たないのです。これは自然のオキテ・団体生活のオキテなのです。

生活のバランスをとる為の調整

みんなが裕福になってはいけないのです。国はみんながダラダラしないように、そのために裕福にならないようにいろいろな事で国民に無理難題を押し付けざるをえないのです。また生活のバランスをとる為にも調整しようとする力が働いてくるのです。社会を成り立てるための手段で、いやでも働くようにしてくれているのです。何だか、不安になってくる面もありますが、このように考えてみると、妙に納得したりします。ちょっと過激な発言ではありましたが、私なりの解釈ですので参考にしてみて下さい。

自分の器

そして、ある時から考え方を変えたのは、自分には大金をコントロールする器ではないことに気づいたからです。何度も儲けた時期もありました。浪費などはしていませんでしたが、なぜか裕福にはならなかったです。きっと裕福になれば怠けてしまって、浪費、贅沢病、何かの遊び症候群、家庭崩壊等が目に浮かびます。今とは全く無縁の老人の引きこもり人生になっていたと思います。人間はもろいもので、何でも手に入って、何でも好きな事ができれば、どうしても怠けてしまいます。だから贅沢病など体のバランスが崩れないように調整してくれているのです。

福の神の判断

今では貧乏に感謝で、人様に迷惑をかけないように、目の前にある事与えられた仕事を、自分の出来る範囲でアワアワとこなしているだけです。福の神が上から見ていて、もし裕福になっても、同じように暮らしていく器が出来れば、福の神が近ずいてくるのです。悪い事も良い事が起こる前ぶれ、気にいらない人も自分を見つめる良い機会で、どんなに悪い事でもその裏にある良い面を見ているので、悪い事などまったく起こりません。

あくせく働くという意味

「働くのは国民のギムだ」と言われながらも、毎日毎日あくせくと働いてはおります。出来れば、もっと納得のいくように仕事をしたいですよね。どんなに悪いことでも必ず良い面があります。少し考え方を変えてみると、あくせくの中にも良い面も見えてまいります。いやでも、あくせくと働いている事で、たくさんの人と接っしたり、行動して体を動かす事で、視野が広がって成長していきます。あくせく働いている人よりも、何もしていない人の方が、不幸であるような気がします。

勝ち組みに入る

そして、よく言われる、勝ち組みと負け組みに、ハッキリ分かれてしまうという事なのかもしれません。何に勝つのか誰に勝つのか、ぼんやりとしております。またまた「勝ち負け」という言い方は、不適切だと思いますが、今の事を理解した上で、自分なリの納得した「ハッピーライフを過ごして行く」という勝ち組みの仲間に入るように、考え方を変えてみると楽しいです。

なぜ、あくせく働くのが嫌なのか

大多数の人達は毎日あくせくと働いてますが、裕福な人だってあくせく働いているのです。貧乏のどん底で育ってきた人の中でも、自分で努力してお金持ちの仲間入りした人も大勢おります。同じように、あくせくと働いていても内容が、まったく違う事が分かります。何を持ってあくせくというのか。なぜ、あくせく働くのが嫌なのか。同じ働くにしても明確な違いがあることが分かります。

貧乏な人

貧乏な人は誰かの為に働いています。故に自分の考えは押さえなければなりません。そして自分の時間を切り売りしてお金に換えています。時間は限られておりますので、収入には限界があるという事です。そして器用貧乏という言葉があります。器用な為に、すべて自分でやろうとして、一つの事が出来ずに、結局どれ付かずになってしまい、中途半端で終わってしまうという事なのです。

分からない事や難しい事などは、自分でやろうと思わずに、専門の人に頼んだ方が、考える時間や素人解決する時間などが短縮できるので早いのです。一見、目先のお金の出費などを、削った方が得な感じがしますが、器が小さい感じがして貧乏的考え方だというイメージがします。

時間を切り売りして
暮らしている事と
自分は出来るっと言う
根拠のない思い込み

どうやらこの辺りに
貧乏志向
あるような気がします

お金持ちの人

お金持ちの人は自分の為に働いています。自分の発想次第で収入も増えてきます。お金持ちの人は時間をお金で買っています。分からない事や辛い事などは、出来る人に頼んでいます。やる事が増えれば、誰かに頼めば良いだけの事です。収入には無限にあるという事です。困った問題が起きた時には、自分の問題に対して知り尽くしている、それなりの専門家に相談しています。「どうしようか」と迷う時間を専門家に対価としてお金を払って短縮しているので、すぐに解決できます。すべてに対して、貧乏行動とはまったく逆の行動をしていることが分かります。

時間をお金で買って
暮らしている事と
出来ない事
専門家に頼んでいます

どうやらこの辺りに
お金持ち志向
あるような気がします

チャンスが来た時どこに入れる

宝くじで1億円が当たりました。どうしますか

お金持ちになるチャンスはいくらでもあるという事なのですが、ここで、たとえ話をしてみます。幸せ貧乏人の独り言です。もし貴方が貧乏だとします。お金が全くありません貯金は0円です。さて、びっくりナント宝くじで1億円が当たりました。さあ、どうしますか。時々仲間うちでこの話をして盛り上がることがあります。家を買いますか?高級車を買いますか?美味しい物を食べますか?旅行ですか?今まで欲しくても、まったく手の出なかった物でも何でも買えます。っえ、とりあえず貯金ですか。良いですねー、良いですねー、聞いただけでワクワクします。

当たった1億円を使って1億円儲ける
という答えはどうでしょうか

「えーっそんな事に1億円使うなんて、同じ1億円じゃん」「苦労するだけ無駄じゃんか」「とりあえず、欲しい物がたくさんあるのに理解できない」ですか。しかし、1億円使えば1億円は稼げるようになると思いませんか。家や車や洋服などの消耗品に使っていれば、いつかはなくなります。ましては、夜の盛り場にでも繰り出して、贅沢三昧グセがついてしまうと、1億円なんて、(あっという間に)なくなってしまいます。出ていくだけで、入っては来ないという一方通行だからです。1億円使って1億円儲ける。同じ1億円なのですが、内容が、まったく違います。

器に入ってくるスペースを作る

つまり、1億円使って自分の器の中に、1億円作り出す知識を入れるスペースを作るという考えです。1億円儲ける器が出来あがっていれば、1億円すべて使い切ったとしても、また1億円儲ける事が出来ます。1000万円使って1000万円儲ける。その1000万円がないので1000万円の作り方を分かろうとする。つまり野菜を買うよりも、野菜の作り方を憶えた方が得策だという事です。魚を買うよりも魚の釣り方を、憶えた方が得策だという事です。

このように書き込んではいるものの、私も、欲しい物を買いたい方なのです。いざ現実に起こればおそらく絶対に、「ちょっとだけ」とか言いながら。ズルズルと使い込んでしまうでしょう。欲は出さずに今を幸せに生きております。裕福になれば良し、ならなくても良しです。神様が怠け者になって、贅沢病や家庭崩壊にならないように、お金が入らないようにしてくれているのです。マジで貧乏ながら笑顔であくせくと働ける毎日を送っていられる。その事に感謝をしております。

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