なぜ人間は戦争をするのか

歴史は闘いの連続

手帳の最後に歴史の一覧があったので、さりげなく見ていた。フムフムとか言いながら遠い昔、よく勉強してたなあ(???) と、懐かしみながら思い出しておりました。っん、ちょっとまてょ、よくよく見てみると 弥生時代に小さな国が各地に出来てから、いくさや戦争などの記事ばかりが、次から次から書いてある。なんと現在まで、ずーっと戦い続けているではないか。そして現在もご存じのように、世界中のアチコチでは、まだまだ戦争が続いております。

日本では広島、長崎に原爆が落ち戦争に負けて平和宣言をしてからは、平和な暮らしが続いております。そして、戦後75年になっても、戦争もなく、やっと平和な時代が続いているのは、ここ数年だということに気が付きます。すごい飛躍にあらためて驚きました。良き平和な時代に生まれてきた事に感謝であります。歴史の一覧を見ていて、なんだか、このように考えさせられ、つい見入ってしまいました。でも、それが故の悲惨な事件や悪質なサギなどが、身近な所にも見られるようになりました。しかもここ数年、考えられないような事件や事故が多発しております。

どうも人間という生き物は
何かの闘いをしなければいけないようになっているのかな

政治家の討論

確かに、戦争はなくなりましたが、違う方面で闘いは続いております。感じんかなめの政府の政策などの与党と野党とやらも、聞くに堪えないやり取り。テレビなどでも、有名な政治家達が出演して、おもしろおかしく討論しておりますが、その中で誰でも知っている大物政治家が、意見を言っている人に対して、即「そんな、よその意見など聞いてはダメですょ」っと、ふんぞり返って、平然と当たり前のように、しかも上から目線で討論しておりました。側からみていると、政治家は他人の意見など聞いては、いけないのかな。自分の主張を押し通し、ことの良し悪しよりも、自分の都合の良いように、言い訳を考える人が伸びて行くという「言い訳名人」の集まりなのカナっと言う感じがします。よく言われる「三人集まれば派閥が出来る」ですが、政治家もベテランになると派閥に目が向き、人の意見などを否定して、納得してはいけない、分かってはいけないのだなっと思ってしまいます。

子供は親のいう事は聞かないが、していることをマネる
と言います

国民も政治家のしていることを、マネしているような気がしてなりません。最近いろいろ手の込んだ詐欺事件や、事故を起こした言い訳もなども、他人の痛みを無視したような自分勝手な言い訳に、何となく政治家のしていることを、マネしているような感じがしてなりません。

そして、ご存じのように世界中では現在も、まだ戦争が続いております。アメリカは戦争をしないと成り立っていけないのかな。何とか正義体分を理由つけては、武器等を使いたがっている。戦争が起きて攻撃して武器を使ったとき、悲惨な状況など言った後で必ず、使用武器の性能とか、新型爆撃とか、レーダーに反応しない最速到着などの、自慢ながらの説明が長々と続きます。日本もそのうちにアメリカから、利用価値がなくなればソッポを向かれてはしまわないか、ちょっと不安になってしまいます。戦争なんて、たった一枚の紙切れで、喜んで戦場に行ってしまう若い人達や、死ぬ気マンマンで張り切って戦っている兵士達。ナント、もったいない無駄なことが繰り返されていたのだと思うと、ガクゼンとしてしまいます。

ご存じのように、熱中症や災害など天地異変の状況や事件事故にしても、年々と悲惨になってきております。頭を傾げるような異常性など、すべてに対してドロ沼化しているようです。さらに、動物たちは他の弱い動物たちを食べなければいけないし、闘いは世界中の隅々で何らかのカタチで延々と続いております。

何だか不安ばかりを並べてしまいましたが、不安になると同時に、現在、平和な暮らしがつ続いているが故に、やっぱり考えさせられてしまいます。

原爆資料館

そういった中、本日の昼過ぎに広島の中心部にギターの弦を買いに行きました。弦を買ってから少し町並みをブラリしてみました。しばらくすると平和公園に来てしまいました。広島にいながら原爆資料館に来た事などないなあ。いや、ずいぶん前にあるような気がするけど、と思いながらフラリと入館してみる事にしました。

「原爆投下前」と「原爆投下後」の模型があり、こと細かに再現してありました。私は広島生まれなので懐かしく見ておりました「っん、たしか昔あった川がないなぁ」など、幼かった頃の思い出とダブラせてみて、ついつい長い間、見入ってしまいました。余談ですが、調べてみると昔は7っあったけど山手川と福島川を現在の太田川放水路に統一され現在では6つしかありませんでした。

そして資料館を出た後、紙屋町、電車通りを歩いていたら今、原爆資料館で見た、あの何もない原爆投下後の模型とダブってからか、今見ている街並みが、ものすごく狭くて窮屈に感じました。っと同時に,いま現在、自由に好きなことができ、そんな時代に生きていることに、改めて幸せを感じながら、歩いておりました。

幸せも闘いです

帰宅してから本日の行動をふり返ってみました。人間が、この世に生まれてきた限りは、何かしらの形で戦わなければいけないようです。幸せにしても仕事にしても、恋愛にしても、これって、すべてが闘いです。生きている限り、自分の幸せを守っていく為には、常に戦っていかなければならないのです。つまり戦わないと、他人からの言いなり人生になり、取り残されてしまうのです。その結果、不幸でみじめな生活をしなければいけくなるのです。戦うという意味が理解できなくて「私はそれでいいんです」という人もいると思いますが、っまー、それもアリかなという事にします。

そして、また戦争の話にもどりますが、戦争がなくならない、核をなくするということは不可能だと思います。たとえば北朝鮮が核を放棄して、まったくなくしてしまったら、アメリカが思うままに振る舞ってきて、北朝鮮はあっという間に滅びてしまいます。北朝鮮とすれば当然ですが、アメリカが放棄しろと言います。そのようになれば、今度は北朝鮮の意のままに、今度はアメリカが滅びてしまいます。

不安のある現在の世の中ではありますが
このような状態で、私達はどうすればいいのでしょうか

ひと昔前に仕事関係で、強烈にミサイル・核反対の運動をしていた人がおりまして「もしも、ここにミサイルが落ちて来たら、仕事どころじゃあないんだぞ」っと鼻息も荒く言っていた事を思い出しました。確かにそうなれば大変で、まさにおっしゃる通りです。意識して持っておく事は大切な事なのですが、その為の対策専門家いるのです。私たちが周りの環境など変えるのは、すごく難しいです。

それよりもハッピーライフ的に考えてみると、周りに振り回されないで焦点をミサイルよりも笑顔です。見るべきトコロを周りよりも自分の幸せに向けてみる。人を笑顔にするためには、自分はいったい何が出来るのかを考えてみる。その為に今ある条件でベストを尽くしてみる。いま目の前にあることを、自分の出来る範囲で最善を尽くすです。違う方面に目が向くと、イヤな現実から逃げているような感じがして、生活して行く中で何かと不都合ばかりが生じてくるし、せっかく行動が無駄になってくるように思います。

不平・不満・グチ・悪口など、嫌な事などから逃げることを考えるよりも
前向きにどうしたら自分を表に出せるのかを考えた方が何かと得策だと思います

人生には、自分の目の前に起こっている事実には対しては、逃げると追いかけてきます。追いかけて向かっていくと、逃げていくという性質があります。だから、良い事は引き寄せるように意識して、悪い事に対しては徹底的に、追いかけて行き、そして、そして戦うのです。そうしますと、悪い事などは、頭を抱えてスタコラサッサと逃げていきますぞ。

ホンネとウラネ

「環境にやさしく配慮しましす」を売り文句に新製品販売している。実際にはそれを造るためにゴミや煙をバンバンだしている。本当に地球の環境を考えているならば、その会社をぶっつぶしてしまえば良いのに。

アレーっそうすると大勢の失業者が出てくるなあ

便利なものが次から次へと出来ており、平和で便利な世の中になってきてはおりますが、それを、作り続けなければいけない。車などが良い例で、ここ数年どちらに行っても渋滞だらけ、工事中だらけです。たてまえで、きれい事を言っても、やめるわけにもいかず、やはり地球は一定期間すると滅びる運命にあるのかなぁ。っと、また不安材料がでましたです。キリがないのでこのくらいでお開きにします。

最後にもう一言

屋根仕事の帰りに、汗を流しにスーパー銭湯に行きました。今日はキケンな作業だったし汚れたので、特に気持ち良いです。しばらくはのんびりしながら、ふーっと一息しておりましたが、よくよく考えてみれば、もし屋根から落ちたりしてケガをしていたら、病院のベットの中にいるのに、病院か銭湯か。ケガなし、病気なし、戦争なしに、今こうして、のんびりしていられるのも、ちょっと不思議な感じがします。ゆったりと湯舟に浸かっていられる事に、改めて、感謝 感謝であります。

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