忙しいと嘆くよりも忙しく動けることに感謝
私は堅苦しい職場は性分に合わないためか、大きな組織に入るのが嫌ですべて自分の思いで過ごしてきました。高校を卒業してから現広島マツダに就職はするも、4年後に退社。その後からはバーテンから始まり本・レジスター・洗車機など、いろいろなセールスを転々としました。そして自営などを経て、73歳になった現在の職業は警備業の会社に勤めて10年過ぎてしまったところです。
広く浅くの仕事を経験から、貧乏ではありますが幸せを感じながらも納得人生を歩いております。今こうして考えてみれば、何度か好転していく兆候もありましたが、何かにつけて制限がかかっていたような気がします。
73歳という年齢にもかかわらず、いろいろな不具合を感じながらも自由にからだが動かせて行動できるのは、当時は暴走を止めるかのように、行動に制限をするような事態が表面化してきていたのです。
私の場合は調子物ですから、裕福になると酒・ギャンブル・タバコなど娯楽・快楽などに流されて、とうの昔に家庭破滅やからだにも異変が起こってしまい、自由に動くことのできる今の自分はなかったように思います。どこへ行くにも何をするにしても、自由にできるからだに感謝しながらも、やるべきことをあわあわとこなしながらも過ごしております。
73歳になってみなければ分からないことってたくさんあるものです。その中の一つでもある、忙しいときの考え方を書き込んでみたいと思います。
忙しい・暇・どちらが良い
ある日事務所で仕事が終わってから仕事仲間から「忙しいときと暇なときではどちらが良いのか」という話題になったことがある
「やはり忙しい方が良いですょ」
「忙しいときはすぐに時間がたつから」
「いやいや日当は同じなので、暇な方が楽で良いですょ」
っとか意見がそれぞれ違っているのです。確かにどちらも良い面もあるようですが悪い面もあるのです。
どちらも良い面と悪い面があるということを前提に働く、問題はどちらを見ているのかなのです。忙しいときは疲れることよりも、緊張感でからだがシャキーっとしてくるので、動くという習慣が身についてきます。
忙しいことに慣れてくるので、忙しいことが当たり前になってくるのです。当たり前になってくると何ごとに対しても即反応できるようになって、周りから見れば「なんとフットワークが軽いな」っと、うらやましがられる存在になってくるのです。
暇なときには暇なときしかできないことがあります。いずれはやってくる忙しいときに対しての準備をする期間でもあるのです。
「手が、すいたら出来るのに」
コレはウソですねー
たとえば雨で仕事にあふれて家の中に一日中いると、さすがにイライラしてきます。忙しいときに「暇になったらアレもしたい、これもやっておかねば」とか考えていたのに、いざ完全な休暇という万全のチャンスが来たのにもかかわらず、体がグダーっとして全く動かない。
ぼんやりと過ごしている間にも「っあ、もう夕方じゃん」「まぁ明日のことょ」で、ダラダラな一日が終わってしまう。「べつに緊急でもないし、いつでもできることなので」と、できない理屈を考えたりして、無意識にからだが楽な方を選んでしまうのです。
「まぁ明日のことょ」が習慣になってしまうと、からだが膠着(こうちゃく)しているので、肝心な今一歩が出ないのです。忙しいときは動くからだになっているので、「ちょっと」とか言いながら触ってみたら、そのままの惰力でいつしか夢中になっていたりするのです。
忙しいことに感謝
忙しいと不満を言うよりも
忙しいことに感謝です
警備の仕事で業者の車に同乗して移動することがある。若い新人社員が少し遅れて乗り込んできたときに「最近、日曜・残業でからだがすごくしんどいょ」とか言ってる。隣にいた役付きの先輩が「良いことじゃあないか」「幸せなことじゃないか」と切り返している。
この言葉すごく気に入ったのですくにメモしました。そしてことあるごとに「忙しいね」と言う人に対しては、同じように「良いことじゃあないか、幸せなことじゃないか」とか言っているのです。
そしてこの忙しいという言葉なのですが、どんなにしんどくても絶対に口に出してはいけない言葉なのだなあと思うのです。つまり何かにつけて忙しいと言っていると、言霊(ことだま)ということわざにもあるように、言ったことに対してからだが反応してくるのです。だから忙しいことが苦になってくるのです。
仕事って暇なときはどうにもならないが、忙しいときは何とかなるものです。しかも動くという習慣が身に染みてきます。暇なときはどうにもならないものです。クダーとしてからだに膠着習慣が身についてくるのです。
そういえば
仕事は忙しい人に頼め
できる人は手際が良い
病院は長く待たされるところに行け
良い病院は患者目線で説明上手
とも言います。
自分で自分を忙しくする
最初はテキパキ動け
いろいろな仕事をしていると、初めてグループを組んで仕事をすることがある。とかく馴染みがない初めて人達を相手に仕事をするときには、とにかく丁寧に早くするように心掛けると良いようです。そうすると「あんまり、丁寧にしなくてもいいぞ」と言うし、適当にしていると「丁寧にしろ」と言う。
テキパキ動いていると「あんまり。ハリキルなや」と言うし、ちょっと休んでいると「もっと動かんか」というような目をする。人間というのは人の動きを非難したがるような性格があるような気がします。
私の場合動くほうが楽なので、ついつい、やらなくても良いような余計なことでも、気がついたらしております。いわゆるフットワークが軽いのです。その方がからだが動くし、時間がたつのが早いのです。「あれ、もう日が暮れてます」です。
しんどいときには、からだにムチ打つイメージで逆にテキパキします。「おーい、ちょっ来てくれ」とか言われたら「へーい、ガテンだ」とか言いながらダッシュです。周りの職人が笑っております。そうした方が体が楽なのです。そうしてテキパキ動いているとですね、案の定「おーい、ちょっと休もうや」っと、こうなる。
初めての人と接するときには、とにかく理屈ぬきでテキバキしておくと「少しは、休みながらしんさい」というような目つきで見られて、後々がやりやすく非常に楽なのです。どちらにしても初めに3回同じ言葉を発すると、その人を見ただけでそのような目で見ることになる。その後いくら良い行いをしても、悪い目で見られてしまうので明らかに損であります。
何だかあの先輩の「良いことじゃあないか」「幸せなことじゃないか」の言葉以来、進んで自分を忙しくしている感もあるようです。
「忙しい」は心を亡くする
そういえば忙しいという漢字は心を亡くすると読めます。つまり心が死んでいる状態です。前にも書き込んでおりますが、「忙しい」とは絶対に口に出すべきではないのです。口に出した瞬間から自分の心を亡くしていくわけです。ましては失敗した理由に「忙しかった」・頼まれごとやお誘いにも「忙しいから」なんて断るのはタブーなのです。自分の意見で態度をハッキリするべきなのです。
忙しいよりも
必要とされている
と考えるべきです
この雪じゃあどうにもならん
日記帳をペラペラめくっていたら、次のような記事が目にはいってきました。
最近、異常気象につき私のボヤキがはじまります。
今日も朝から大雪です 「あーあ、この雪でさっぱりでんねん」 いくら前向きに考えてもこれはウームです。でもでも職人はうまく仕事をするだけではなく、いかなる変化にも臨機応変に対応できなければいけないのだ。
「でも相手が雪じゃー」
「いやいやそんな出来ない理由はいらねー」
「できるように考えろ」
「そうだそうだ、うまくたちまわれ」
「しかし、あんなに雪じゃあどうにもならん」
「仕事があるだけでも、ありがたく思え」
「雪を掻き分けて、できることをやるのだ」
ハークショイ、なんだかシャキーっとしないねぇ、こんなことをイメージしたひとり二役の独り言をしゃべってたことがありました。
最後につまらないオチでゴメン