必ずいる嫌いな人!嫌いな人は自分の欠点を教えてくれる必要な存在
考え方を変えるだけで、誰でも幸せになれるということを実感しました。嫌いな人を気にいるように、考え方を変えてみようと実際に試してみた時期があります。ちょっとだけ「気にいらない」という思いを「気にいる」に変えてみたのです。「できるかな」と思いながらも「やってみるか」と軽い気持ちから、いざ実際に行動に移してみると、不思議なことに相手も変わってきたのです。
そうは言っても、現実はきびしいもので嫌いな人・気の合わない人はどこに行っても必ずいるものです。嫌だという完全な思い込みがしみ込んでいる自分に、相手を受け入れるように考え方を変えることは容易ではありませんでした。
しかし少しづつ試しながら・理解できて見方を変えただけで苦手意識がなくなり、相手もちょっと変わってきたのです。「っん、これは良いかも」と、事あるごとに試しているうちに習慣になってきたのです。これは周りの景色も明るく変わってくるので、私の経験の中からもう少し掘り下げてみたいと思います。
嫌いは自分の思い込み
私の経験談ですが、若かりし頃はどうしても「馬が合わない」で憎たらしく思え、正直あいつさえいなければと思うことばかりでした。そんなあるとき、ボーっとしながらも分からないなりに気にいるようにちょっと試してみたのです。「本当にできるのかな」とか思いながらも、無意識にしていたような気がします。
嫌いな人を
気にいるように試してみる
そうしているうちに、さりげなく話しかけたり目で挨拶したりなど、不思議なぐらい自然に受け入れるとができるようになり、妙に気が楽になってきたことを覚えています。(詳しくは前回の記事「嫌いな人との接し方!嫌いだと思い込んでいる自分がいるだけ」で書き込んでおります。)
あれ、この安堵感はなんなんだ
自分を変えた方が早い
気に入るように試して初めてから幾日かたって、良い感じがつかめてきたころのある日、みんなから嫌われている人の自慢話が隣の席から聞こえてきました。周りの人達は小声で「なに言ってんだょ」っとかボソボソ言っておりますが。私が少し大きめの声で「なるほど今日は良いこと聞いちゃったよ」っとか返すと「そんなに感謝してくれたら嬉しいね」と、笑顔で返事が返ったのです。「あれー、良い感じじゃん」っで、嫌なことは自分の思い込みだということに確信を持ったのです。
人間は誰でも自分にはない良い面をもってますし、自分の欠点などもチラチラ見えてきました。今まで気がつかなかった自分の欠点を探してみようカナ、とも思うようになったのです。
目からウロコです
悪い裏にある良いところさがし
それからは悪いところは避けて良いトコさがしがクセになってきました。たとえば何かに行きづまったら解決策を考えます。「何とかしなければ」と思いますが逆に「何とかしようとしない」という考え方に180度変わってきました。
一種の開き直りですが無理して「何とか」と考えるよりも、原因は必ず自分の「考え」「行動」にあるはずですから、そこを素直に受け取ることができるようになり、改善する行動をできるようになってきたのです。ある程度習慣化してくると無意識化してくるのです。無意識に接っしていれば当たり前になってきて、まったく苦にはならないのです。
無意識行動になると楽チン
この無意識ということがミソで、無意識ですからずいぶんと楽に、そして楽しい毎日が送れるようになってきました。改善行動そして無意識行動のパターンが身についてくると、人間関係だけではなくて、身に起こってくる難問さえもその裏にある良いとこ探しもしています。
相手を変えるよりも
自分を変えてみる
さらにバージョンアップして
悪いところの裏にある
良いところさがし
です
ここで一つ大切なことがあります。嫌いな人を嫌いだと口には出さないことです。出す必要はないし出した瞬間に、嫌だという思い込みがよみがえってきます。言ってはいけないし態度なども見せたりしない方がいいのです。
例えば会社だと、周りの嫌な人や上司などに焦点を合わして嫌だという態度を見せれば、逆に自分が嫌だと思われて邪魔な存在になってきたりします。ヘタに根付いてしまうと悪者扱いをされてしまいます。会社は仕事をする場所なので焦点を仕事に合わしていれば良いだけなのです。
鏡の法則
人生の法則に鏡の法則があります。自分が行ったことが鏡に反射してハネ帰ってくるのです。前回の記事にも書き込んでおりますが重要なのでもう一度書き込みます。
周りが嫌だと思えば
自分も嫌だと思われます
自分が怒れば
周りも怒ってきます
自分が笑えば
周りも笑います
まるで鏡に映った自分を見ているようです。表情だけではなく行動や態度もハネ帰ってくるのです。ちょっと耳の痛い話になりますが、他人が自分に気にいらないことをしてくると感じたら、自分も同じことを誰かにしているのです。自分と同じことを、他人がしてきたら気になるものです。そして、気になるのを通り越してカチンときたり言い争ったりすると、その人と同じレベルだということなのです。
第三者の目で落ち着いて思い浮かべてみると、必ず心当たりがあるはずです。自分が気がついていないと同じように、その人だって気がついていないのです。自分を信じることも大切ですが、少し疑ってみるのも大切だと思うのです。
嫌いな人が欠点を教えてくれる
無理もありません自分の欠点は見えないものです。うーーむ、ひょっとしたら嫌いな人って、自分の欠点を教えてくれ為にも必要な存在ではないのかと思います。
そういえば「こうすれば良いのに」とかグチっている人に限って、自分ではしていないものです。「もっと明るく振る舞えょ」とか言っている人に限ってハタから見ると暗いです。他人の良い面は見ないで悪いトコしか見ていないからです。
明るく振る舞ってもらいたいのなら、自分が明るく振る舞えば良いことです。「掃除しろょ」と言うより自分で掃除することです。そうすれば明るく振舞ってくるし、自分の意志で掃除もするというものです。職場でも明るい自分を振る舞っていれば明るい雰囲気が漂ってきます。
まさに鏡の法則です
嫌いだと思うのは
欠点を見ているだけ
気にいらないと思ったら
自分も同じことをしている
誰にでも良いトコ探しで
明るい雰囲気
焦点を他人の欠点から
目標に変えてみる
生活していく、すべての出来事にも同じことがいえるのではないのかなと思います。
嫌いな人は
必要があるから存在しているのです