
よく怪我をする人は幸運に恵まれている!怪我からの復活に必要とされている幸運に感謝
70をちょい過ぎ後期高齢者になった現在、私は周りの人達と比べて「幸運の神様に見守られているな」という感じがするのです。いま振り返ってみても幼いころから怪我が多かったのですが、そのわりには生活するにも支障はないし、好きなことができるし好きなところへも行くことができるからです。すべて致命的には至っていないことに、運の良さと感謝の日々です。
まるで
まだ生きていなさい
と言われているような
そんな気がするのです
間一髪の強運に感謝
暗闇で顔面強打
事務所のソファーで、うたた寝していたら、ぐっすりと寝込んでしまいました。明け方前にトイレに行って部屋に戻ると真っ暗なためにつまずいて、机の角で鼻の下あたりを強打しました。かなり思いっ切りの強打ですが、その割には痛くもないし違和感もないので、しばらくはじーっとしていましたが何ごともないのでそのまま寝ました。
ぐつが悪い程度で一応は良かったのですが、もしも打った場所がもう数センチ上下にずれていたら、鼻の頭から口腔付近・前歯などの弱い部分になり、おそらく破損または陥没していたと思います。そうなればまさに救急車事件でした。
強打してもあまり支障のない、一番かたい歯ぐきの部分だったようです。不幸中の幸いということで不運を嘆くよりも、幸運の良さを感じている自分がおりました。
奇跡に近い幸運に感謝です
石の上に落下
そういえば、数年前キャタツから石の上に落下したことを思い出しました。そのときに打った箇所は、本日強打した少し下側で、前歯から左にかけての3本の歯が破損しました。下歯は全く影響なしで口腔も影響なしでした。
前歯が3本折れはしましたが、もし本日強打した鼻のすぐ下だと、相手が石なので鼻から口腔にかけての骨の陥没が考えられます。つまり鼻の下あたりがぐちゃぐちゃになっていたと思います。そして下側にずれてアゴだったら、同じように上下の歯の破損と、あごの陥没で顔面が変形していたと思います。
このときも打撲した場所が最善だったため、大打撃には至らず生活していくには今でも、まったく支障がありません。前歯3本の破損よりも最善な被害だったことへの、感謝の気持ちの方が強かったです。この数年前の事故と本日の事故は、どちらも不意の事故で、ついていないようにも見えますが、最善の場所だったことに非常にラッキーだったと思っております。
奇跡に近い幸運に感謝です

強運・感謝と原因を知る
もしこの時と本日の打った場所が逆だったら、この数センチの違いでどちらも救急車がらみの大打撃を受けており、おそらく顔かたちは変わっており、今の自分ではなかったです。何の目標もなくダラダラと過ごしていたカモ、いやいや自分なりの信念で生きていたとは思いますが、自由度がかなり違いますです。
部屋内の足元などの整頓をしていれば・キャタツをしっかりとして居れば。っという反省はもちろんありましたけど、それよりも感謝感謝でしかありませんです。こうして考えてみると、私の人生にはケガが非常に多いいです。しかし本日と同じように、すべてが致命傷から間一髪で外れていたのです。
私の怪我・病気歴
そういえば私は事故歴が多いいです。一歩間違えば人生が変わるぐらいの事故ばかりですが、不思議と書き込み記事と同じように、不運の中での超ラッキーな事ばかりです。ちょっと思い出しながら書いてみます。
【3才】
バイク事故。橋の上でサイドカーにはねられて、鼻の下を数針縫いました。このころから私の事故人生が始まります。
【5才】
鼻血が止まらない。鼻血が止まらなくて洗面器を準備しました。
【5才】
溺れかける。池が急に深くなっていて陸に戻ろうにもドロ状だった為、アリ地獄のような感じで、戻るどころか段々と深みにはまっていく感じでした。無我夢中でつま先を立てるようにして、もがいている内に一瞬からだの重心が陸側にフワリと戻り、間一髪で無事でした。ホント一瞬の出来事でしたです。
【小学校2年生】
左手を脱臼。運動会の日に朝礼台から落ちて普段まげている反対方向へまがってしまい、左の肩に左手首がくっつきました。骨折ではなくて関節が外れたのです。先生が両足を脇の下に入れて、そのクルリと回った手を思いっ切り引っ張って、関節を元の場所に治めるのです。しかし少しするとズレてくるので、毎日同じように引っ張って調整をするのです。痛いというよりも地獄の毎日でした。先生から「くの字に曲がったままになる」と言われましたが、なんとナント超奇跡的に完治しましたです。これにはビックリで、私の人生で最高の強運を感じております。ちなみに途中でシーソーから落ちたりしたのにです。
【中学生】
出っ歯を修正。これは事故ではないのですが、出っ歯を修正するのに自力で治しました。かなり目立たなくなりましたです。
【中学生】
「魚の目」を治す。これも事故ではないのですがやはり自力で治しました。両手にたくさんの「魚の目」ができてかなり醜かったのです。半世紀たった今ではきれいに治っています。一番大きかったのは、見た目では分からないぐらいの形跡が残っています。
【高校生】
頭を強打。バス停でバスから降りる時に転落。バス停のコンクリートに頭を強打。救急車がらみの一時意識不明と意識障害。
【高校生】
蕁麻疹。2~3年間、秋ぐちに顔全体とからだ全体に蕁麻疹ができて、ペニシリン治療をしました。
【高校生】
蓄膿症の手術。現在とは違って牛乳瓶いっぱいぐらいの麻酔をして、トンカチで副鼻腔を削るのです。手術をした方の顔が、目が開けられないほどパンパンに腫れました。

【20才】
急性アルコール中毒で丸一日意識不明。ウィスキーをストレートグラスに半分ぐらいを一気飲みしました。何ともないので西部劇のようなイメージで、調子に乗ってカッコーつけたりして立て続けに3杯飲みました。そのあとコトンで丸一日意識不明です。ウィスキーって後からくるのですね、意識不明は当然です。
【22才】
薬の副作用で異変。胃腸薬とセイロガンと健康飲料を一度に飲み、ごちゃまぜ副作用で体に異変、病名は不明で、今でいう熱中所に似た状態でパニックになりました。少ししたら牛乳瓶の底から景色を見るような視覚症状にパニックになりましたが、徐々にですが期間が短くなって自然消滅しました。
【24才】
高電圧に感電。テレビを自分で修理中ブラウン管の裏側に手が触れて感電。かなりのショックがありました。
【28才】
ひどい日やけど。このころ念願の彼女が出来て喜んで海水浴に行くも、全く日傘などの対策をしなかったので、ひどい日焼け(日やけど)に会いました。
【36才】
蓄膿症の手術・(2回目)。歯が痛くて歯医者に行くも原因が分からず、一応は治まるのですがまた痛くなるという日々を、2年ぐらい繰り返していました。ある日、紹介された古い歯医者を訪ねると、すぐに蓄膿症の後遺症だと言われ、大学病院を紹介されて手術をしたというわけです。一度経験があるので意を決したわけですが、痛みなど全然なくていつ終わったのという感じでした。歯ではなくて鼻腔の方でした。
【45才】
左足の骨折。屋根から落ちて左足の骨折。落下した瞬間に下のダンプカーが見えたので、とっさに頭をかばって身をかわしたも、コードレールに左足が落ちテコの原理で骨に縦に長くの骨折でした。なんと6か月間の入院でした。
【46才】
踏んだクギが抜けない。建設会社にいた時です。解体中の窓から飛び降りた時に、板に打ち込んだクギを勢いよく踏みつけてなかなか抜けないのです。痛みはありませんでしたが冷や汗タラリで、しばらくは不安でしかたありませんでした。
【49才】
熱中症。屋根仕事をしていて初めて熱中集になりました。その後も何度かあります。
【51才】
いぼ痔が出たまま元に戻らなくなりました。30年近く出れば押さえるで、痔を中に戻してはごまかしていたのですが、ついに限界がきました。元に戻らなくなったのです。いぼ痔って元に戻らなくなければ風船のように膨らんでくるのですね。救急車を呼ぶほどでもないのでこころあたりに電話するも「月曜日に来てください」とのことです。運悪く土曜日の夜だったので週明けまで丸二日ある。冗談じゃない膨らみも限界に近付いており、さらにパンパンのはち切れそうです。仕方なく消防署に電話して病院を紹介してもらい、そこで悪戦苦闘、とりあえず先生がひと休みしながら・ふうふう言いながら戻していただきました。月曜日に専門医で診断して、迷いもなく手術したという訳です。
【52才】
車のドアーに指を挟む。右手人差し指を車のドアーで挟みました。しかも思いっ切り・完全にドアが閉ったような感じです。可愛いキブスをしました。
【53才】
びてい骨強打。雪で滑ってトタン屋根から落下。すぐ斜めに石段があり、後ろ向きに滑るように落ちたので、びてい骨強打です。
【53才】
キャタツから石の上に落下。前歯3本が破損
(詳しくは当ページの「石の上に落下」に書き込んでおります)
【53才】
痔ろうの手術。二年前にいぼ痔の手術をしたのですが、違和感があるので再訪問ナント痔瘻です。今度は慣れているので即手術です。少し前に前歯3本が破損する怪我をしているので、人生初の二つ病院のかけもち診察です。
【65才】
奥歯が真っ二つで抜歯。幼いころから歯ぎしりがひどく最近はマウスピースをしているのですが、寝ているときに力が入りすぎるのか真っ二つに割れてしまいました。

ケガが多いいのは運が良い証拠
まだまだ、あるような気がしますが、ケガが多いいのに普通に生活しながら、動いている自分がいるということは、このすべてが運が良いという感じがします。しかも、すべてが間一髪で致命傷から逃れているのです。そして変わらない生活が遅れている。生きて生活していられる自分が存在しているということなのです。
怪我・病気歴の中で一度でも致命的だと自由度が違います。ケガをすることよりも元気にいられるということに感謝。何かできるために動けるという自分が存在していられることに感謝しかありません。
私は必要とされている
こうして元気に、しかも自由に動けることができるのも「あなたは、まだこの世が必要としているのですょ」「その為に動きなさい、条件はそろっていのですょ」っと、誰かに言われているような気がします。
ひょっとして、コレって
もう一人の自分
からのメッセージ
そのように思えてなりません。こんな考え方で毎日を送っている人もいるのです。本日のつまずき強打から思いついたことを書き込んでみました。
【合わせて読みたい記事】

表をみるか裏をみるか
今回の書き込みで何が言いたいのかというと、悪いことが起こったときには、必ず良いことも潜んでいるというなのです。そして逆を見てみれば、良いことが起こったときには必ず悪いことが潜んでいるのです。私の場合も過ぎ去ってみればですが怪我よりも間一髪の幸運に感謝なのです。
見えない裏にある悪い方を見て嘆く良い方を見て悟るかの、どちらを見るか。見る方向を変えるだけで良いのです。このことを頭に入れて毎日の生活に生かしていけば、自然と良い方向へ進んでいきどうすればいのかを感じるようになっていくのだと、書き込みながら思っております。
人生すべて二面性
良いことと悪いことは
同時にやってくる
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人生とはそんなもの
さらに怪我だけでなくて何か問題が起きたときも同じ理屈なのです。「あなたにはいま足らないところがあって、起こっているのです」という小さなサインで、自分の欠点を知らせてくれているのです。
「うーーむ、整理整頓をしろということか」「キャタツをちゃんと固定しろということか」まずは足元をしっかり見なさいということですね。当たり前のことですが言われてみればまったくその通りです。
ダラダラと書き込んで長くなりましたが、このように考えている人もいるっということです。参考にしていただければっという願いから、このブログ人生は思い通りに変えることができるを立ち上げたという感じもします。