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福の神と貧乏神は一心同体

福の神と貧乏神は一心同体

何をしてもうまくいく人
何をしてもうまくいかない人

旅行に行っても必ず開運クッズの品物を売っておりますのは、誰もが福の神を呼び込むように願っているからでしょうか。同じように行動をしても、人によって結果がまったく違ってくるという、この相反する違いは何なのでしょうか。

うまくいっている人は福の神が居ついているし、うまくいっていない人は貧乏神が居ついているのでしょうか。いやいやお金持ちだって不幸な人はいるし貧乏だって幸せな人はおります。っというわけで、福の神と貧乏神の関係に何かありそうな気がしたので調べてみました。

福の神と貧乏神は姉妹の関係

まず貧乏神の反対語は金持ち神ではないのかなと思ってググってみたのですが、やはり福の神とありました。その中で幸せな人と不幸な人の違いが、分かりやすく説明してある昔話がありましたので、私なりにアレンジして紹介してみたいと思います。

ある家に福の神がやってきました。福をもたらすという気品にあふれた身なりをした福の神がやって来たというので、夫婦はものすごく喜んで家の中に招き入れます。しかしそのあとから見るからにみすぼらしい身なりをした、貧乏神が入ってきたのです。

必ず災厄がおきるという貧乏神の訪問に驚いた夫婦は「これはイカン」っと、たまらずに追い出そうとします。すると「先ほどは入ったのは私の姉で行動を共にしています。私を追い出せば姉も出て行ってしまいます」と言うのです。そのとおりに先ほど入っていった福の神も一緒に出ていったというのです。

どうやら福の神と貧乏神は
姉妹の関係にあるようです

姉の福の神は吉祥天(きっしょうてん)・妹の貧乏神は黒闇天(こくあんてん)といいます。姉妹であっても性格が真反対なので、表側と裏側に居て常に行動を共にしているというわけです。

福の神と貧乏神は行動を共にしている

この物語を聞いて何かを感じませんか。「貧乏神は必要ないょ」といって、追い出すような考え方や行為などをしていると、福の神も一緒になって出ていってしまうというものです。福の神と貧乏神は背中合わせでセットになっており、どちらも必要な存在だということなのでしょう。つまり良いことと悪いことは同時にやってきているという教えなのです。

誰でもが福の神を呼び寄せて
貧乏神を追い出そうとしますが
その考え方や行為が
不幸を招いるということなのです

私達の生活していくの中でも、そのことが分かることがあります。幸せの象徴でもあるお金持ちを例に出してみると、貪欲(どんよく)にお金ばかりに目がくらむと脱税や道楽などの依存症、からだの習慣病など反対側にある負の影響で障害が起きてくるのです。

そういえば貧乏な人は必要に迫られて欲しいものに制限がかかるからでしょうか、長生きしているように思います。一生懸命すればするほどうまくいかないと思っている人は貧乏神を敬遠している影響かもしれません。

貧乏神に感謝

私はお金持ちではなく幸せ貧乏です。しかし女房と二人暮らしで仲もよく、体もいろいろと心配ごとはありますが、生活するには支障はありません。若いころは羽振りの良い時期もありましたが、もし今でも羽振りの良い日が続いていたら、私の場合は調子物ですからきっと何らかの依存症にかかっていたのだと思います。 寝たきりになり女房にも逃げられて、悲惨な日々が続いていたと思います。

これは自分でも分かりますし妙に自信があります。必要に迫られて遊びも控えてタバコも酒も辞めております。っというよりも自分に良くないことは、やめるような状態が団子のように降りかかってきた挫折がありました。そのときが警告・試練の時期だったのでしょう。今では試練などには慣れっこになってしまって、健康生活するにはまったく支障はないようです。

このときの挫折に感謝
まさに試練・貧乏に感謝の日々です

わが町の金持ち神

そういえば貧乏神はよく耳にするのですが、金持ち神はあまり聞いたことがありません。それらしき神社はあるようですが、あまり馴染みがないようです。 余談ですが私の町にはマンションの屋上に、金持ち神社というのがあります。神社と言っても簡単な鳥居がある程度です。

広島テレビ番組の元就でも紹介しておりました。訪れたアンガールズの田中さんは「柏手(かしわで)は何回するのですか」と訪ねると「何回でも良いです」っと笑いを入れておりました。この金持ち神社はかなり有名で、町中では派手な黄金色した金持ちタクシーも走っております。このタクシーに乗れば何となく金持ちになったような気分が味わえるので、乗ってみたいような気もします。

福の神より貧乏神を選ぶ

福の神と貧乏神は姉妹の関係にあり一心同体なので、貧乏神を追い出すと福の神も一緒に逃げていくという、この理解しがたい内容を良いのか悪いのかを含めた、もう一歩踏み込んだ物語がありました。やはり私なりにアレンジして紹介してみたいと思います。

あるところに貧乏だけどよく働く嫁さんと真面目な夫が幸せに暮らしておりました。ある日屋根裏からすすり声がするので、のぞき込んでみるとみすぼらしい格好をした、やせこけた貧乏神がいたのです。

どうやら長く住み込んでいたらしいのですが、あす福の神が訪ねてくるというので、もう住み込んでいるわけにもいかず、この家ともお別れだと思って悲しんでいたそうです。

次の日に福の神が訪ねて来ました「福の神が来たぞ貧乏神はさっさと立ち去れい」っと言って貧乏神を追い払おうとします。面食らった夫婦は馴染みのない福の神よりも、今まで長く一緒に暮らしていた貧乏神を応援して、一緒になって福の神を追い出してしまったというのです。

福の神にしてみれば「せっかく幸せにしてやろうと来てやったのに」「なんで福の神を追い出すの」「追い出すなんて・・・分・か・ら・ん」っと悲しんでいます。

不思議で仕方ありませんが、貧乏神と仲良く過ごしていく夫婦の家は、それからも変わることなく貧乏ではありましたが、毎日が楽しく幸せな日々がいつまでも続いていくのでありました。

福の神はポジティブに考えていて、貧乏神はネガティブに考えている姉妹という関係なのですが、福の神をとるか貧乏神をとるか。この物語のように長く貧乏神とつき合っていると、福の神を追い出してしまうということなのですが、それで幸せならば無理して幸せを追いかけるより、馴染んでいる方を見る方が良いのではっとか思うのです。結局は・・・

見る人のとらえ方・考え方次第なのです
貧乏であれば貧乏を受け入れる
病気になれば病気を受け入れる
嫌な人がいれば嫌な人を受け入れる

このようにしてどちらをとっているのかを意識して自分を観察してみると気がつくことがあります。それは自分はいつもどちらを見ていたのかということです。

表を見て裏を見ていなかった
のでは・・・

どちらを見ていたのかという自分に気がついてくると、どのように考えればれば幸せになれるのかが分かってきます。人生はちょっとした考え方・どちらを見るかだけで、天地の差がついてくるのです。そしてです・・・・・

分かったから
オーラに変わっていくのです

福の神と貧乏神はどちらも必要

そういえば私達の周りを見渡してみれば思いつくことがあります。親・兄弟・友人・仕事仲間などの人間関係も、お互いの考え方の相違や性格の違いなどは関係なく、喧嘩する人もいれば仲良くしている人達がおります。

なぜなのか、それはお互いの性格の違いよりも、自分にとって都合の良いように考えている。つまり福の神だけを受け入れることだけを考えていたのでは争いになってくるのです。共存している貧乏神を意識しながら相手の性格などあんなものだと考えて、お互いの性格を素直に受け入れてみる。つまり貧乏神も共存しているということを意識すれば、お互いの性格も素直に受け入れるようになるのです。

幸せになるにはどうしても人間関係です

親子・兄弟・夫婦・友人・上司・近所なども仲が良い悪いは、性格の違いではないようです。うまくいくかいかないかは福の神と貧乏神が共存していることを理解しながらどこを見るか。性格の悪い方を見てギクシャクするか、受け入れてみるかでその人の考え方次第で争いにもなるし幸せにもなるということではないのでしょうか。

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