
思い込むと周りが見えない
なぜ扉を使わないの
リフォーム工事をしていたころの話です。あまり遠出をしていないので、今日は遠方へ営業に行ってみました。気分転換での得意先周りといったところでしょうか。何度も工事をしている、お得意さん宅を訪問した時の話です。お婆さんの一人暮らしで、ひょんな事からお得意さんになり、付き合っております。
いつも不思議だなぁと思っていたことがあります。それは、台所から外の流しに行くのに、一度玄関まで出て外から流しまで行っているのです。見渡したところ台所の眼の前には扉があります、その扉を開けたところに流しがあるのです。なぜ目の前にある扉を開かずに、わざわざ遠回りをしているのだろう。
恐るべき思い込み
「流し」といえば毎日使っているのだろうに、大変だろうと思いながらも、深い意味があってもいけないので、あまり触れませんでしたが、どう考えても不思議で仕方がありません。そこで、ちょっと聞いてみました。
「いつも流しまで行くのに、玄関を回ってから行ってるけど、どうして遠回りをするの」
「っえ、いつもそうしてるんで、あまり深い意味はないんだがねー」
「いらん事を言うようだけど、ここの戸を開けたら楽なんじゃないの」
なんだか扉を、まったく意識していない感じです
「でも、この扉は開かんのじゃけえ、いつも遠回りをしとるんじゃ」
「何か引っかかっとるだけじゃぁないの」
「わしゃあここへ嫁に来て、もうカレコレ60年たつが始めから開かんのじゃ」
「開かんものじゃと思うとるから、一度も開けたことがないんじゃ」
「ここを通れるようにすればいいのに」
「そりゃあそうだけど」
ちょっと扉を意識しはじめた感じ
「見たところ扉なので基本的には開くはずですょ」
「・・・まっまあ」
「ちょっと、動かしてみてもいいですかね」
「簡単にできるんかいのう」
「ちょっと待ってみんさいよ、動かしてみるょ」
「よいしょ」ガクンッッッガラガラガラ
「あれっお婆さん開いたよ」
「アレまっ、どうしたんかいのう」
何だかあっけにとられた感じです
「最初に、あんまり強く閉め過ぎて何かに引っ掛かったんですよ」
「ちょっと力を入れて開いてみれば、ホラこの通りですよ」
勿論大喜びではありましたが、っというより今までの無駄が一気に思いおこされて、ちょっとボーゼン気味。さて、お婆さんの、この60年間はいったい何だったのでしょうか。
この扉は開かいものだと思い込んでしまった
恐るべき思い込みです

思い込みで障害者に
そういえば、その思い込みで、思い出しましたことがあります。リフォーム工事で、お客さん宅で話し込んでいるうちに、怖い話を聞くことがありました。団地の一角にあるお得意さんで屋根工事をしていたときのことです。
休憩時間に施主さんを含んで話込んでいると、団地の下の方から近所のお婆さんが、こちらへ向かって登ってきているのが見えました。そのお婆さんは足に障害があるらしく、歩くのが片足を少し引きずるような感じで上ってきております。
障碍者を装っていると・・・
施主さんが言うに「以前、あのお婆さん、ここから見ていると普通に歩いているのに、挨拶しようと表に出て、顔を合わせたトタン急に足をひきずるのですょ」誰も見ていないときは普通なのに、人前にでると、なぜか障害を装うクセがあったのだそうです。何故そんなことをするのか理解できないが、他人の同情をかおうと障害者を意識して装っていると、いつしか自分は障害者だと思い込み、なんと、その思い込みから本当に障害者になってしまったというのです。
じつわそのお婆さん、私のお客さんでもあり、よく知っている人なんです。そういえば最近、見かけないなーっと思っていたが、どうも入院しているらしいです。悪くもないのに、装いも長く続けていると、思っているようになってくる。つまり自分で障害者と思い込むことから、本当にそのようになってくるというのです。
二件ほど怖い思い込みを紹介しましたが、どちらもウソのようなホントの話なのです。
思い込みをうまく利用
思い込みによる影響は
こわいなーと
改めて感じました
恐ろしいです
でも
でも
でもっですね
これを逆に考えてみたらどうでしょうか。人間のからだは思い込むと、そのようになってくるというのであれば、自分がやりたいことをできると思い込むと実現できるのでは。成長するのに「なりたい自分になりきる」っと、よく聞きます。つね日頃から、いいことをイメージしていると、そのようになってくるという理屈です。

いま思い込んでいるのかな
思い込みって無意識にしていることなので、あまり難しく考えると理解しにくいので、軽く「思い込むと周りが見えなくなってしまうのか」「しかも無意識にしているのか」ぐらいでいいので、ちょっと意識してみる。常日頃から意識していると「っあ、今、思い込んでいるのか」と分かりだしてきます。
思い込みは思い込み
たとえば、人と話をした後に「あんなこと、言わなければよかった」「きっと嫌な思いをしているだろうなぁ」などと思い込み、自分を責めたりもします。その挙句に悩んだりしていると、ますます表面化してきて、ギクシャクして、最悪その人が離れて行ってしまうこともあります。
これは単なる自分の思い込みであって、相手が思っていることではないのです。どのように考えているかは分からないし、只そこに思い込んでいる自分がいるというだけでしかなのです。
反省はするけど後悔はする必要がありません。反省も「っあ、言っちゃた」ぐらいで、くよくよする必要もありませんです。そんなときは、相手がどのように思っているのかが問題ではなくて、自分がどのように思っているのかが問題です。自分で自分を責めていると、相手が攻撃した以上の打撃を味わってしまうことになります。それでは状況は、ますます悪化してきます。
相手より自分を変える
そんなときの考え方なのですが、相手を変えるのは不可能ですが、自分の考えを変えることはできます。そのようなことを言ったからと離れていくようでは、自分にとっていい友達ではないと割り切ることです。離れてしまう人は追いかけずです。
人に好かれようとするとすごく疲れるだけです。クヨクヨと考えたりせずに、自分のやるべきことをこなしていくことを考えれば、毎日が楽しく、何があっても動じなくなります。思い込むと周りが見えないをいつも意識していると、自分の身に降りかかってくる困った問題などに対しても、対処できる自分なりの方法が明確に思い浮かんできます。

思い込みを利用する
ついつい話のことで長くなってしまいましたが・・・・・
この思い込みを
いい方向に利用できないのかな
と思いませんか
そこで今度は逆にこの思い込みをうまく利用して、自分を騙して障害を克服したという話をします。
