
言葉使いが悪い!プロの言葉使いに学ぶ
いろいろな人達と接して話していると、なぜかかみ合わない・共感しない・言いたいことが伝わらない・しばらく沈黙が続いたりして会話が続かない。っということはないですか。ひょっとしたら自分では気がつかないけど、言葉使いが悪いのでは。
私の場合ですが丁寧な言葉が苦手なのです。あるときに録画した自分の会話を聞いてみて、これほどひどいとはと驚くいたことがありました。よくない・いけない・恥ずかしい・みっともないなど、超ネガティブのオンパレードに、これはいけないかなっと、もう反省しかなかったです。
自分の言葉を聞いてみる
パソコンの操作方法が分らないので、カスタマーサービスへ問い合わせてみました。同じ質問をしないように、ビデオカメラに録画保存しております。分からないときは後で再生して聞いてみるのですが、本筋の質問内容よりも、自分の言葉遣いが良くない方に耳がいき、驚くと同時にここまで悪かったとは、恥ずかしきことの数々です。
つっけんどんな言い方と
心地よい説明
それに引き換え、電話対応の受け応えがすごく感じがいいのです。ひとつづつ操作をする度に、確認の意味を込めて「ありがとうございます」という言葉が返ってくるのです。私のつっけんどんな言い方に対しても、親切丁寧にアドバイスしていただき無事に解決しましたが、ついつい録画している自分の受け答えの言葉と、比べてしまう私でありました。
それからはうっすらと
言葉使いを意識
し始めたのですが
相手が納得できる対応
私はビデオ撮影も業としており、某ホテルで結婚式のビデオ撮影に行ったときのことです。このホテルは久しぶりで、スタッフもかなり入れ替わっておりました。キャプテンと副キャプテンどちらも初対面です。進行が進むごとに両人の行動が、すごく自然で好感の持てる接客態度でした。一連の流れの中で友達言葉などの言い方などがあっても、違和感などまったくありませんでした。

思わずうなずいた一言
そうして中で私が思わずうなずいてしまった言葉があります。私がエレベーターに乗り込んだときのことです。先にホテルの支配人が乗っておりましたが、私は行先のボタンを押そうにも、カメラで両手がふさがっていたのです。
それを察してか支配人から
「ボタンを押してあげますょ」
「行き先は何階ですか」
と尋ねられました
「あっすみません5階です」
プチ
「有難うございました」
親切にもボタンを押していただきましたが次の階でのことです。今度は司会者の方が乗ってこられました。やはり私と同じように書類で両手がふさがっていたのです。支配人が「何階でしょうかボタンを押してあげましょう」と、私と同じように言われました。そのときに司会者が言った言葉です。「恐れ入ります、お願いしてもよろしいでしょうか」っと、こうです。
これには私も思わず「うーーむ」、とうなずいてしまいました。さすがプロです「お願いしてもよろしいでしょうか」ですか。このときに究極の言葉ではないかと感じたのと同時に、心の広さとプロ意識を教えられられました。とっさに言葉にでてくるということはさすがです。
最高の丁寧言葉と態度
すみませんお願いします
恐れ入りますお願いしても
よろしいでしょうか
先ほどの私の言葉とは
エライ違いです
すみません
より
恐れ入ります
お願いします
より
お願いしてもよろしいでしょうか
ですか・・・
うーーむ
私にも言えるようになれるかな

プロの言葉使いに魅了
その道のプロなので当たり前のことなのですが、キャプテン・司会者・その他の動きなども、披露宴の終了まで常に素晴らしい対応に、あれなら苦情はこないだろうなぁ」っと思って見ておりました。これはもう改めるしかないです。
このときもカスタマセンターの受け答えが思いだされて、改めて言葉使いの大切さを学んだという訳です。何かをキッカケに考えるクセをつけて進んでいれば、何気ない同じような出来事でも学びにつながるのかなとか感じてきたりします。プロの言葉使いから学んだ例を二つ紹介しました。
最後にもう一つ
大切なことがあります
何かをやり遂げようとしたときには、できないにしても自分で改めたい・進んで「あの人のようになってみたいなぁ」と毎日毎日思い続けることです。恥ずかしながらでもやってみること・ぎこちないにしても実際に行動にしてみることです。料金も時間もいらないのですが、試してみる価値は充分にあるのです。当然なのですが初めから理想のようには絶対にできないですが・・・
習うよりも慣れろ
毎日思い続けて実行していると、自分の中に成りたいことが浸透してくるのです。「あれ、この安堵感は何なんだ」で、あるときにカタコトでもふっと出来るものなのです。そのうちにだんだんと慣れてきていつの間にか、自然とからだが動いてくるようになるし、違和感もなく出来てくるものなのです。
できる自分に
なるための
最初の一歩は
できない
よりも
やろうとする
ことです
実行してみることです
