すみませんは物事をまるくおさめる魔法の言葉

すみませんは物事をまるくおさめる魔法の言葉

【前回の記事】

言霊(ことだま)という言葉があります。自分の言った言葉には魂が宿っているということでしょうか。その時そのときの感情が実際に発する言葉の中に宿っているのです。だから自分の伝えたいことよりもそのときの感情の方が優先して相手に伝わっているのです。とくに失敗したときやトラブルなどにはほぼ100%感情のみが伝わってしまうのです。

相手に自分の意を伝えたいと思ったら「すみません」とワンクッション置くことで、物事がスムーズに伝わります。この「すみません」という言葉ですが本来は謝罪につかう言葉なのですが、そのほかにも感謝・依頼・謙虚など、いろいろな場面で使われているようです。

そのためにこんがらがって知らず知らずのうちに全く違う意味や、悪い印象などを与えていたり自分では良かれと思って言っているつもりでも、相手に不快感を与えていたりして逆効果になっている場合もあるようです。明らかに損をしているときもあるようなので考えてみたいと思います。

すみませんは依頼の言葉

すみませんは意が伝わる

人に何か頼み事をするときやお願いするときにはすみませんとワンクッション置きます。そうすると相手は素直に従いやすくなるということです。「明日は7時にコンビニの前で待ち合わせよう」っと言うよりも「すみません、明日は7時にコンビニの前で待ち合わせでいいですか」です。

ワンクッションを置くことで、かなり柔らかな雰囲気になります。さらには恐れ入りますがなんて言うとすごく丁寧になります。単にお願いするよりもすいませんとワンクッションおいた方が何かと便利です。さらにお忙しいところ・お急ぎのところなどを使い分けると、周りからは一目置かれてなごやかな雰囲気が漂ってきます。

思わずうなずいた一言

私が思わずうなずいてしまった言葉があります。それはビデオ収録でホテルに仕事で行ったときのことです。私がエレベーターに乗り込むとすでにホテル支配人が乗っていました。私は両手がふさがっていたので支配人が「何階でしょうかボタンを押してあげますょ」と言われたので、私は「すみません4階です」と言いました。

そして次の階でのことです、今度は司会者の方が乗ってこられました。私と同じように両手がふさがっていたのです。支配人が「何階でしょうかボタンを押してあげましょう」と、私と同じように言われました。そのときに司会者が言った言葉です。「恐れ入ります、お願いしてもよろしいでしょうか」っと、こうです。

これには私も思わず「うーーむ」、とうなずいてしまいました。さすがプロです「お願いしてもよろしいでしょうか」ですか。このときに究極の言葉ではないかと感じたのです。とっさに言葉にでてくるということはさすがです。心の広さとプロ意識を感じさせられました。

すみませんお願いします

恐れ入りますお願いしても
よろしいでしょうか

えらい違いです
今日も一つ賢くなりました。

すみません
より
恐れ入ります

お願いします
より
お願いしてもよろしいでしょうか
ですか・・・

うーーむ、
私にも言えるようになるかな?

別に自分が間違ったことなどしていないので、謝る必要などはないのですが、人にお願いするのですから、申し訳ないという気持ちをすみませんの中にしみ込ませたいです。

すみませんは謙虚な言葉

すみませんが言えない

「すみません」がどうしても言えないで、絶対にあやまらない人がいます。あやまったら負けだと思っているのでしょうか。私も若かりしころに商売をしていたときに、一歩引くと三歩来るのでそのように考えて行動しておりました。周りから軽く見られないように、舐められないように自分を大きくみせるために絶対に引かない、威嚇などの一種のプライドらしきものを持って商売に励んでおりました。

しかしすごく疲れるし長い目で見ると良いことなんか起こらないと感じるようになったのです。闇雲に目の前を遣り繰り(やりくり)するのに必死で、全体を把握していない現状。周りの人達との共存商売に必死だったのです。そのために本来の自分のやるべきことがおろそかになっていたようなのです。このような状態の時期にはプライドなんてまったく役に立たない・意味がないことに気がついたのです。

プライドが必要な人と必要ない人

プライドとは自分の能力の評価を周りに知らせ、それを維持するための威嚇です。ブライドが必要な人は何かを成し遂げて、偉大な地位・財産を築いた人達で、それを守るために周りを威嚇している一財産を築いた人達に必要なものなのです。

プライドをもっていないとすぐに周りの人達に利用されてしまいます。自分に非があることを認めるわけにはいかない政治家や、何人も従業員を抱えている会社社長などは、このプライドがないと利用されてすぐにつぶれてしまいます。

プライドを捨ててみる

しかし何も成し遂げていない人や、挫折や失敗などをした経験がない人が、このプライドを持っていも邪魔になるだけで疲れるだけです。実際に成果がでるまでは必要ないので自分の意を伝えようと思ったら、プライドを捨ててみる。、私はあるときにブライドを捨ててみることにしました。気負わずに軽い気持ちで始めたものの以前よりもだんだんと楽になってきました。

そうしていると学ぶという姿勢になってきます。実際に人の言うことを聞くという姿勢に変わってきます。ありがとうとすみませんの言葉がでてきます。そして口癖になって謙虚になってくるのです。そのように自分を変えていってみると、徐々にですが不思議と周りの人達も、共存してくれるようになってきたのです。あまり悩まなくても周りの人達や状況が助けてくれるような雰囲気が漂ってくるのです。

ちょっとしたことで楽にうまく立ち回れる、このちょっとの事柄をうまくブログにして伝えたいという思いも目覚めてきました。いろいろと気がついたことを実践しながら、ある程度年齢が行った現在そのものズバリの「自分を変える」「自分は変えられる」というテーマでブログを立ち上げて伝えているという訳です。

良い面が見えてくる

普段、見慣れている周りの景色さえも違ってきました。まわりの人達の嫌な部分も違和感なくスルーできるようになりました。気にいらない人見ただけでもムカつく人、どんな人達に対しても良い面がたくさんあります。その人達から学ぶことってたくさんあります

今まで意地悪してきた人や気にいらない人に対しても、「早く気がついてね」とさえ思うようになってきました。その当時は「何かが変わっているな」程度でよく分からなかったのですが、今ではブログも充実してきて、心が広くなっていくような感触に喜びを感じております。

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