男とはあんなもの・女とはそんなもの!我が家の夫婦喧嘩です
夫婦喧嘩って、お互いに「何で分かってくれないの」と、自分の思いを相手に押しつけ合っているだけなのでは。相手が嫌がっているのだから嫌なことをしているのでは・しているから指摘されるのでは。それなのにお互いに一歩も引かないでゴリ押し態度が習慣化してくると、離婚という選択しかない訳です。
夫婦喧嘩は
どっちもどっち
自分を変えないで相手を変えようとすると無理があります。っというよりできないです。っというよりもできたとしたら相手が不幸になるだけです。しいては巡りめぐって自分に不幸が降りかかってきて、お互いに不幸になるだけです。
まるでオモチャを取りあって駄々をこねている子供みたいで、家庭を持った責任ある大人がすることではありません。みっともないうえにお互いが不幸になるだけです。
焦点を相手より将来に向ける
男とはあんなもの
女とはそんなもの
お互いに数十年まったく違う環境で育ってきたのですから、思うようにならないのは当たり前のことで、そのことを前提に生活するべきなのです。
焦点を
相手の欠点よりも
将来に向けてみる
そのために
相手を変えるより
自分を変えてみる
相手を変えることは無理だけど、自分を変えることはできるはずです。我慢するという意味ではありません。夫婦喧嘩はお互いの考え方を、共存するための一過程であって必要な行事なのです。
夫婦喧嘩は
憎しみ合うためではなく
仲直りするためにするのです
どこを見ていたのか
相手の性格だとかを言う前に、大人になった自分に責任をもつということです。見るべきところを間違えてしまうと、まったく違う方向へ進んでしまいます。結婚して世間から大人と認めてもらうように振る舞うべきです。相手の性格だとかは理由にはなりません、そのときにどこを見ていたのかの方が重要なのです。
いま自分はどこを見るべきか・何をするべきか、鏡の法則とやらで相手が反抗してくるということは、嫌がるようなことを相手にしているからなのです「反射して返っているのか」そこらあたりをちょっと考えてみると、不思議と冷静になれることがあります。もめごとというのはほんの一瞬です5秒ぐらい何も言わずに「ちょっとまてょ」と過ごしてみると、怒りもおさまってくるようです。
我が家の夫婦喧嘩です
最近なぜだか女房が口を聞かない、こちらも対抗策で喋ってやらない。かれこれ一週間ぐらい冷戦状態なのであります。そして昨夜のことです「最近なぜか嫌がらせが多いい、昔からそうだった」ばりばりばりと、グチぐちグチのオンパレードであります。
つっついに、きたか、さてどうする「冗談じゃない、そちらから始めてきたのに」っと、早速の反撃開始であります。っがー「でも、もう我慢の限界」などとムハムハー強烈な反撃が来る来る。うーーーむ、こうなったらこちらも負けてはいられない。
嫌がらせかー
鏡の法則と言ってなー
自分のやったことが
ハネ返ってきてるだけだぞー
っと、えらそーに、いくつかの例をあげて言ってやった。っん、ちょっと怯んだ感があったので「よし」と思いきや、ひと呼吸おいてから「自分では気がつかないだけで、結構ひどい内容なんだぞ」
あんましグチなどに付き合っていると良くないので、じんまりと言っていたらそのうち静かになってきた。静かにはなったのは良いけど、どーも納得した様子はないようだ。こんなときは何も言わない方が良いようです。
夫婦喧嘩したときの考え方
話はガラリと変わって翌日の朝ご飯のときであります。昨日の争いに納得していないような、少しふくれっ面が食事している。何だかんだ言っても食事はつくってくれるので、まずはひと安心なのだがイスに座にすわって食事をしようして、ふっと見るとテーブルに置いてある箸が右左違うのであります。
「・・・」
うーーむ、なるほどー、何も言わない方が良いと思って平静を装いながら、その違っている一本の箸を手にとり、隣にいる静かなる女房の目の前にゆっくりと置き、ひと呼吸おいてから新たなる一本を持ってきて、おもむろに食事であります。当然ですが女房の前には違っていた一本の箸が置いてあります。
「・・・・・」
しばらくは沈黙が続くのでありますが
さて、この一連の流れを
嫌がらせととるか
ジョークととるか
「・・・・・」
私の場合は夫婦喧嘩も沈黙・笑顔とジョークで徐々におさまってきましたです。そして、女生とはあんなもの・男性でとはこんなもの、「まあ、それもありか」で過ごしています。意地を張り続けて正論を通すのか、沈黙と笑顔のジョークで乗り切るのか。どちらを選ぶのかでは長い間には雲泥の差がついてきます。