
ハネ返ってくる鏡の法則!自分のしたことがハネ返ってくる
人生の法則に
鏡の法則
という言葉があります
朝起きると洗面所に行って歯を磨き顔を洗います。当然ですが目の前にある鏡を見ることになります。良いことがあれば笑顔になっておりますが、悩みがごとがあれば困った顔になっております。
あれ、なんだか
自分の今の状況が
そのまんま
鏡に映ってる
そんな感じがしてきます
鏡を通して自分を見ているときが、自分の今の状態を客観的に見ていられる状態なのです。自分自身を客観的に見ることができれば、冷静になって自分の欠点に気がついてきたりするのです。
これが人生の法則
鏡の法則
です
この鏡の法則らしきものを理解すれば、自分を一番良い状態に持っていけるように、修正ができるようになってくるのです。
鏡の中の自分を見つめる
周りには誰もいない
鏡に映っている自分を姿をじーーーっと見ていると分かってくることがあります。自分の状態がそのまま鏡の向こう側に映っているのです。自分が嫌だと思っていると、鏡の向こう側にいる顔も嫌だという顔になっている。まるで反射してハネ返っているようです。
ハネ返っているのか。まてよ、誰かを嫌だと思っているということは、その人も自分を嫌だと思っているのか。その人の嫌な態度を自分も同じようにしているのカナっとか感じてきたりします。
自分も同じことをしている
嫌だと思うのは
同じしぐさを
自分も誰かに
しているから
ある人が自分に対して嫌だと感じるような、言葉・態度・しぐさなどしてきたらと感じたら、自分もその人と同じ言葉・態度・しぐさなどをしているのです。鏡の法則通りに自分のやったことが巡りめぐって、鏡に反射するようにハネ返ってきているのです。
自分の欠点は
分からないものです
知らず知らずのうちに無意識に言ってたり、やっていたりしているのです。意地悪をしてくる人達が気がつかないのと同じように、自分だって気がついていないのです。
嫌なことをしてくる人を見て
嫌だと感じてしまう
言い換えれば自分の欠点が分かるキッカケが、自分の気にいらない人や苦手な人にあるとも言えるのです。「人の振りみて」・・・でしょうか、気にいらない人達は自分の欠点を知る絶好のチャンスであり必要な存在でもあるのです。

カチンとくるのは同レベル
さらに嫌なことをしてくる人を見て、嫌だと感じるのを通り越してカチンときたり・口論まで進むと、自分はその人とレベルが同じだということなのです。たとえば子供がダダをこねてもカチンとこないのはレベルが違うからです。同僚が偉そうに「人生は鏡の法則っとか言ってだね」などウンヌン理屈を言うとカチンとくるが、お坊さんのような先駆者達が言うと素直に聞いてしまうのです。
子供がダダをこねても
カチンとはこないのは
レベルが違うからです
誰かの態度が
嫌だなと思ったら
自分も同じことを
誰かにしているのです
自分よりも弱い人達
逃げ場のない
部下・子供などです
鏡の法則を実践してみた
嫌だと思っているのは嫌だと思っている自分がいるだけでは・・・そして自分も誰かに嫌だと思われているのでは・・・嫌だという思い込み捨ててみよう。なんとなく思いを書いてはみましたが、書くのは簡単ですが実行するとなるとハードルが高くなります。今までの思い込みというメンタルブロックが根づいているからです。そこでです・・・ずいぶん昔に実践してみたことがありますので紹介してみたいと思います。
嫌な人を気に入るようにする
相手が気に入らないと思っていると、無意識に態度や言葉の節々にでてくるものです。私が若かりし頃に「嫌だ」という感情が伝わっているなと、意識し始めたころのことです。気に入るように考え方を変えてみようと試したことがあります。
気に入らない人を
気に入るようにしてみる
嫌な奴と笑顔で話すってか
ホントにできるのかな
でも、やってみたいな
もし嫌な人が嫌でなくなれば
これは素晴らしいぞ
そういえば
大嫌いな人でも
周りの人は笑ってるし
これは何かあるはずだ
よし試してみようかです
うーーむ
あいつ自慢ばかりしているが
周りの人達が
意味もなく笑ってるぞ
なぜなの、ホワイ?
自分勝手なのに
周りがなごやかだ
一度にはいかないですが、試しているうちに徐々に慣れてくるものです。そして分かってくるものです・気がついてくるのです。

目からウロコの安堵感
そうしたある日のことです。いつも人をバカにしたような言い方で、嫌だった人と話をしていて、その人の何でもない自慢話に対して「今日は良いこと聞いちゃったょ」っとか言い返してみました。
「そんなに喜んでくれたら嬉しいね」っとか言いながら、笑わない人が笑顔で話しをしてきたときには「アレーっ」とか思い、この安堵感は何なんだと感じたりして、目からウロコが落ちたような・周りの景色がパーっと明るくなったことを覚えております。やっぱり・・・
分かろうと思うよりも
実践して
感じることです
(※書き込んでいるうちに長くなりましたので別記事で書き込んでおります)
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