愚痴は敵つくり!愚痴を言ってくる人との接し方
愚痴も相手によっては
接し方が多少違ってきます
愚痴は自分の欠点をさらしだすだけではなく、周りの人達は避けるようにしがちです。そして近づけないという雰囲気が漂ってきて、自分を堕落させるだけで良いことは何一つないのです。
一緒にいるとマイナス部分が乗り移ってしまうので、無意識に遠のいていくようです。この暗いイメージの愚痴を言っている人も避けられない人達もいます。生活を共にしている家族や親せき、会社の同僚や上司などですが、この避けては通ることの出来ない人達とは、どのように接していけば良いのでしょうか。
愚痴を受け入れるとき
一件無駄だと思える愚痴も
聞いた方が良い場合もある
聞かねばならない場合もある
じっくりと愚痴を聞く
たとえば何かの相談に来られた場合、身内や親せき・会社であれば部下などですが、こんなときは相談相手に自分が選ばれて、せっかく頼ってきたのだからある種の責任感が芽生えます。そして相談の話はもとより、大抵は愚痴の話が長くなりがちで、助言の言葉も迷ってしまいます。
「っあ、愚痴か」っと、連れない態度をとらないで、まずはじっくりと話を聞いてあげることから始まります。すぐに解決方法を言わないで聞くことによって、自分からいちばん良い解決方法を見いだせるものなのです。
相談してくる人は切羽詰まっているわけですから、助言というよりも黙ってしっかりと、愚痴を聞いてあげた方が良いのです。その間に自分の意件をまとめていくわけですが、ある程度愚痴っていると、ふっと「愚痴っているなぁ」と、情けなくなってくる自分に、気がついてくるときがあるのです。それまで愚痴を吐き出させるのです。
そうしていると愚痴疲れから、うっすらとですが自分の欠点が分かってくるのです・何となく気がついてくるのです。そして自分の中にいくつかある解決方法が、浮かんではまとまってくるのです。そして愚痴ってすべてを吐き出してしまうと、無意識に一番良い解決方法を思いつくものです。
愚痴はこぼす
と言います
不満・不安をこぼして、すべてを吐き出してしまうと、こころの中にすき間が出来ます。そのすき間に解決方法を入れていくことができるのです。つまり、解決方法を入れていくすき間を作るために、愚痴をこぼさせるという考え方です。
悩みの原因は必ず自分自身にあるわけですから、ベストな解決方法も自分の中にあるはずです。そのことを分からすために、すべての愚痴の吐き出しです。
女房の愚痴
73歳になった今だからこそ言えることなのですが、こうしてブログを書き続けていると、悟ってくることがあります。わたくしの女房がパートで働いておりますが、職場によってはかなりの不満があるようで、夕食時間などには愚痴の話が多いいのです。
すこし前までは、愚痴にはつき合っておられないので、聞くのが嫌でそそくさと自分のことをしていたわけですが、よほどのストレスになっていたようです。徐々にですが、聞いてあげるのも気休めになって良いのかなと感じはじめたのが、遅かりし高齢者になってからだという訳です。そして「同調してあげることも必要なのかな」とも思うようになりました。
これも
すべてを吐き出させるため
です
(でも、調子に乗って倍ぐらい愚痴数が多くなったような気がする)
(うーーむ、これで良いのかもです)
ぼやき・イヤミ
愚痴の類似語で、ぼやき・イヤミなどがあります。どれも同じような意味で、聞いていても自分のプラスなることのない超ネガティブな言葉ですが、多少ニュアンスが違います。
かの有名な野球の野村監督ですが、現役だったころはぼやきで有名でした。私も最初は「選手たちはあのぼやきを、毎日聞いていると嫌だろうな」とか不思議に思っておりましたが、成し遂げた人が言うとちょっと違います。教訓になるしインパクトが強いようです。
野村監督は現にたくさんの名言を残しておられます。私も二件引用させてもらっておりますが、ぼやきもここまでくれば筋金入りです。「本当に球場に行くのがいやだった」とボヤいた古田氏でしたが、プロ野球史上に残る名捕手になったのも、野村監督のぼやき指導のおかげであったようです。つまり一見無駄なことでも、考えよう一つで必要にもなるのかなと思うのです。
野村監督のぼやき名言
「大切なのはどん底のとき誰がそばにいてくれたかや」
「メモを取る習慣が弱者を強くする」