愚痴は敵つくり!「愚痴は愚痴」愚かで知恵が足りないと読みます
「グチ」をググってみますと魚のことばかりが出てきました。そこで「愚痴」でググってみますと「言ってもしかたがないことを言っては嘆くこと」とありました。「ああだったら良かったのに」「こうだったら早くできたのに」「だから言ったのに」「もう、分かってるわょ」など、言う必要のないような過ぎたことをくどくど言ってみる。言ったところで同調するはずもないし敵意をもつだけなのに・・・
愚痴は愚痴
愚(愚かで)
痴(知恵が足りない)
と読みます
自分の愚かさと知恵が足りないという性格を、周りに言いふらしているだけで、良いことは何ひとつとしてもないのです。人生、生きている限り辛いことは、常につきまとってきます。
その辛い事態に対して愚痴っていると「私は起こってくる事態に、対処していくだけの力量(免疫)がないのですょ」「力量(免疫)をつける気はサラサラありませんょ」と言っているようなもので、これからも同じことの繰り返しの愚痴人生を続けていくことになるのです。その結果、思い通りにならなず、誰からもハッキリしない、もうイライラする、という感じで生きていくのです。
周りが警戒してくる雰囲気
自分の意思が伝わらないどころか、周りの人達は自分に対して戦闘態勢に入ってきます。内容よりも感情の方が伝わるからです。近ずいてくれば心の中では緊急事態に入り、アラームが鳴りひびいてくるのです。
もし自分が誰かに近づいて行ったときに、相手がこわばった顔をしたり・目をそらしたり・自分を避けているようなしぐさをしたら、無意識に戦闘態勢に入っているからです。愚痴を言っているのかもしれません。
人の振り見て我が振り直せ
案外と自分のことは気がつかないもので「あれー、自分も愚痴・イヤミなど無意識に言ってるのかな」っと、疑いを持ってみるべきです。人の振り見て我が振り直せと言います。自分と同じことを誰かがしてくると気になるものです。
鏡の法則といって,誰かが気にいらないことをしてきたと感じたら、自分も同じように誰かに同じ仕草を、しているということなのです。気にいらない人達は、自分の欠点を気づかしてくれる為に必要な存在なのかもしれません。
オレって愚痴ってる
っん、まてょ、そういう私もこのように書いていながらも、愚痴を言ってたりして自分で気がつかないだけかもっと、ちょっと心配になったので、女房に聞いてみた。
「ちょっと聞いてみるけど、オレって愚痴なんか言ってる?」
「誰かに、何か言われたの?」
「いやっそうじゃなくて、ちょっと聞いてみるだけ」
「愚痴とか疲れたとかは聞いたことがないけど、イヤミは時々言ってるょ」
「イヤミね、っえ、そっちかい・・・」
「それと、機嫌が悪かったら、物を置くときにドスンと音を立てて置く」
「ふむ、フム、ふむ、イター」
そして、記憶を確かめるように
「不思議と疲れたと言う言葉は聞いたことがないし、愚痴も一回だけ、ほとぼりが冷めたころに、ポツンと言ったことがあるだけで、まったく聞いた記憶がない」とか言ってた。
愚痴を言ってるかどうかを聞いているだけなのに、「イヤミ」とか「ドスン」とか言ってる女房も一言多いい気もしますが、こんな記事を書いている私もやっぱりイヤミを言っているようでした。
愚痴よりイヤミ
とりあえず愚痴は言ってないようだ。あまりガツガツせずにゆっくりと物を置くようにしてみるかです。そう言われればイヤミも思い当たるフシがありますもので、コレって確かに愚痴と同じように感じ悪いので改めていきましょうです。
まだまだと思いながらもそのつど改めるようにしてからは、イヤミや怒りなどは相手を不快に思わせるような言葉は、徐々に少なくなってきております。そういえばふっと鏡に写っている自分に気がついて見てみると、怒っているような顔をしているときがあります。
うわーっコワ
こっこれはイカン
そのような時には、すぐに口角を無理やりあげて、こわばっている顔をほぐしてやり微笑むようにしております。このように意識してして毎日過ごしていると、鏡を見なくても「あっ今コワイ顔をしてるなー」とか「アレ、今のはイヤミかも」と気がついてくるようになりましたです。
自分の欠点を知る
自分の欠点に気がつき
笑顔、笑顔で改める
少しずつ改めるようにしながら生活していると、そのパターンが無意識化してきて、自分の態度を冷静に・客観的に見れるようになってきました。これはすごい自信になってきました。
ある事務所のソファーで横になって休んでいると、訪ねてきた人が、いきなり「おーっ何だか、良い顔してるねー」っと言ったのです。そのときに自分の器が少しずつ広がってきているのかな、良いことが入り込んでくるという雰囲気になっているのかなっということに気がついておりました。
良い感じって
ホント良い感じです