戦争と平和!平和であるがゆえの戦い

戦争と平和!平和であるがゆえの戦い

現在の日本では戦争が終わってから75年、平和な日々が続いています。しかし平和であるがゆえに起こっている戦いがあることに気がつきます。たとえば、頭をかしげたくなるような嫌がらせ・執拗なあおり運転・目に余るような残酷な凶悪事件・熱中症や異常気象による自然崩壊・コロナなどの未知の病気ですが、年々ひどくなっているようです。もう戦争どころではないはずです。地球規模での対策が急がれるように思うのですが。

このような不安な状態の中で生活をしている私達ですが、ちょっと油断すれば、まわりの環境に翻弄(ほんろう)されて、すぐにでも方向を失いがちです。

不安のある現在の世の中
ではありますが

このような状態で私達は
どのように考えれば
良いのでしょうか

戦う環境の中で何をするべきか

私の仕事関係で強烈にミサイル・核反対の運動をしていた人がおりました。「もしも、ここにミサイルが落ちてきたら仕事どころじゃあないんだぞ」っと、鼻息も荒く言っていたことを思い出しました。

確かにそうなれば大変で、まさにおっしゃる通りです。意識して持っておかねばならないのは大切なことなのですが、その為の対策専門家いるのです。私達が周りの環境など変えたり国の人達に意見するのは、ものすごく難しいっというよりできないです。それよりも自分のできる範囲でやれること・やらなければならないことを考えたほうが、自分も世の中うまくいくというものです。

戦争と平和!平和であるがゆえの戦い

ミサイルよりも笑顔

確かに戦争になれば大変なことなのですが、現在平和な世界にいるのであれば、まずは平和であることを受け入れてみるべきです。平和な世界に感謝です・元気に動ける自分に感謝です。

周りには振り回されないために
焦点を変えます

ミサイルよりも平和
です
戦うよりも笑顔
です

見るべきトコロを周りよりも自分の幸せ目標に向けてみる。人を笑顔にするためには自分はいったい何ができるのかを考える。その為に今ある条件でベストを尽くしてみる。いま目の前にあることを自分のできる範囲で最善を尽くす。

違う方面に目が向くと、考えていることと見ている方向が違うという、どっちつかずになって迷ってしまうのです。長く続けていると自律神経失調症のような、不都合ばかりが生じてくるのです。もしミサイルを心配するのであれば、何の役にも立たない一般市民の前で言うよりも、その方面に向かって専念するべきです。

見る方向と考える方向を
一致させてやるということです

そして、先ほど書き込んだ幸せであるがゆえの闘いも、不平・不満・グチ・悪口など、嫌だと思う人間の心の中から始まっているのです。

嫌だと
逃げることを考えるよりも
嫌なことはあるのが当然だと
受け入れることを考えた方が
得策だと思うのです

遠くの山はきれいに見える

自分の目の前に起こっている事実には対しては不平・不満・グチ・悪口など、嫌なことばかりが目に尽きます。周りの人達は幸せに見えます。遠くに住んでいる人ほど幸せに見えます。しかし条件はどこも同じなのです。目の前の嫌なことから逃げると嫌なことが追いかけてきます。嫌なことに向かっていく、つまり追いかけていくと嫌なことは逃げていきます

良いことは引き寄せるように意識して、悪いことに対しては徹底的に追いかけて行くのです。そして戦うのです。そうしますと悪いことなどは、頭を抱えてスタコラサッサと逃げていくのです。嫌なことに対して免疫がついてくるので、嫌なことが苦にならないだけなのです。

不安があるから
不安になるのではなく

不安を乗り越えられないから
不安になるのです

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ホンネとウラネ

「環境にやさしく配慮しましす」を売り文句に新製品販売している。実際にはそれを造るためにゴミや煙をバンバンだしている。本当に地球の環境を考えているならば、その会社をぶっつぶしてしまえばいいのに。

あれーっそうすると
大勢の失業者が出てくるなあ

便利なものが次から次へと出来ており、平和で便利な世の中になってきてはおりますが、それを作り続けなければいけない。車などが良い例で、ここ数年どちらに行っても車だらけ・渋滞だらけ・工事中だらけです。

たてまえできれい事を言ってもやめるわけにもいかず、やはり地球は一定期間すると滅びる運命にあるのかなぁ。っと、また不安材料がでてきましたです。キリがないのでこのくらいでやめておきます。

今を幸せだと感じること

ところで屋根仕事の帰りに、汗を流しにスーパー銭湯に行ってきました。今日はキケンな作業だったし汚れたので特に気持ちいいです。しばらくは、ふーっと一息などしながらのんびりと、ひとときのくつろぎタイムです。

よくよく考えてみれば、戦争という戦いだと命の危険もあるし、その危険に匹敵するような見返りありません。仕事という戦いでは対価として日当を頂いております。もし屋根から落ちたりしてケガをしていたら病院のベットの中にいるのに、病院か銭湯か・ケガなし・病気なし・戦争なしに、今こうしてのんびりしていられるのも、ちょっと不思議な感じがします。ゆったりと湯舟に浸かっていられることに、改めて感謝・感謝のくつろぎタイムでありました。

仕事も戦いの一種
戦いのあとに幸せあり
ですかね

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