貧乏に感謝!貧乏は生活が乱れないようにセーブしている

貧乏に感謝!貧乏は生活が乱れないようにセーブしている

貧乏は嫌だけど
贅沢病にならないように
人生に脱線しないように
貧乏というカタチで
行動に制限をかけているようです

人間は自分勝手で弱い生き物で、楽しくて良いことばかり望んでいるものです。「いくらお金が入っても私は大丈夫」とは思ってはいても、現実に大金が入ってくれば「ちょっと」とか言いながら、ハメを外してしまうものなのです。

仕事で田舎の商人風の家に数人の職人で行ったときのことです。仕事前の焚火で施主の話なのですが、目の前に見える高速道路を指さしながら、数年前にあの高速道路が通ったときは二束三文だった土地の値段がハネ上がって、部落の数人の地主達にかなりの大金が入ってきたというのです。一億以上入った家が数十軒ほどありましたがすべてがダメになったそうです。

そのような話を聞きながら過ごしていると、「いきなり大金が入ったりすると良くないのかなぁ」「お金がないから働いているのは、ひょっとして良いことなのかなぁ」「いやいや大金ではなくそこそこのお金がであれば良いのに」「すると大金とそこそこの堺はどこかな」とか、自分の頭の中で瞑想したりします。

いきなりの大金で堕落

ある年寄り夫婦の家では「一度キャバレーちゅう所へ行ってみたいので100万円だけ」っとか言いながら、生まれて初めてキャバレーへ行ったそうです。「100万あるがこれで遊べるかの」とか言ったものだから、店じゅうのホステスが目の色を変えて寄って来たそうです。

店側としてもこんな客はほっとくわけがありません。両端にホステスが座って手取り足取りで、大金が入った内容を上手に聞き取ったようです。本人は「こんな世界があったのか、これは良い」っということで「もう100万円」っとか言いながら、無くなるまでチヤホヤ三昧にハマっていったそうです。

また十数億と部落で一番多く入った家では、子供が「お金はいらないから一億の家を建てて欲しい」と言う。しかし実際に建ててみると今まで使っていた家具ではつり合いがとれないし、外構工事などもチャチなことができないので、いろいろとせびって来たそうです。

それにたくさんの人達からもお金をせびりにきたりして、まったく知らない人達からも寄付の強制にあったそうです。今までは家族全員公務員で仲も良く、幸せ家族の象徴のような人達だったのですが大金が入ったおかげで、年寄りがノイローゼになったそうです。

この話を聞いて、人間はもろいもので大金が入ってきたにしても、自分の器にふさわしい金額でないと堕落していくのかなと感じた次第です。

貧乏に感謝!貧乏は生活が乱れないようにセーブしている

お金を受け入れる準備をする

そのようにならないようにと、多くの人達は貧乏生活で行動に制限をかけられているようです。つまり自分をコントロールしているもう一人の自分が「今お金を与えるにふさわしくない」と判断して、暴走しないようにわざと貧乏にして、自重せざるを得ないようにブレーキをかけているのです。

まさに
貧乏には感謝
なのです

貧乏よりやりたい方を見る

考えてみればあくせくと働いて月日ばかり流れていますが、ちゃんと目が見えて・喋ることができて・聞こえて・好きな所へ行くことも、すべて自由にできます。当たり前のことが当たり前にできる幸せに、感謝を感じるべきなのです。

でもでも「そんなとことはありませんょ、私は大金が入ってきても普段と同じ生活ができるょ」とか思ってはみても、大きな流れに飲み込まれてしまうのです。ちゃんとする人もおりますけどごく少数で、それなりの別の戦いも必要になってきます、本当の意味で大金が入ってきても、それを受け入れるだけの器になってきたら、お金の方からやってくるのです。

私ですがお金がない割にはマイホームのローンも完済して、贅沢はしなくても欲しいものは手に入いっています。ちょっと油断すればガタカタと崩れそうな、70歳からだも独自の理屈で自分に言い聞かして、普通のことを普通にこなしていくことができます。おまけに好きなところもいけるし、やりたいこともしております。

貧乏よりも
やりたい方を
見ているのです

このような感じで暮らしているせいか、自分でも不思議なくらいお金がなくても、周りの雰囲気が満たしてくれているようなのです。そして自分の考え方を伝えたくて、このブログを書き始めたのですが、徐々にその考え方が加速してくるのが分かるのです。私がこのように考え方を変えて行動していった方法を、思い出しながらメモを読み返しながらの書き込みを、楽しみながら続けているという訳です。

貧乏に感謝!貧乏は生活が乱れないようにセーブしている

お金の方からやってくる

貧乏に感謝はマジで思います。自分の考えをしっかり持って、何があっても動じない納得のいく生活が送れるようにお金を受け入れる準備をしていく。準備ができれば自然とお金の方から近づいてきて、贅沢病にもかからないで余裕のある生活ができるようなってくるのです。今のままでも受け入れる準備が未熟なのでしょうから、それはそれで満足です。幸せの象徴のようなお金に対する考え方なのですがお金は追いかけるよりも引き寄せことを考えるべきです。


現在の世の中、大型台風や異常気象などの天地異変に始まり・人間関係・悲惨な事件や事故・無意味な挑発など、ともすれば自分を失いかけないという雰囲気が、周りに渦巻いてきております。自分を見失わないために、いま不幸があるとしたら逆療法で、そのことに感謝してみると意外といいような気がします。そのような状態で裕福になってくれば、悲惨な生活を送ることもなく、普通に幸せに暮らしていけると思うのですが。
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【特集記事】貧乏に感謝

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