魔法の言葉!物事を円滑にすすめる魔法の言葉
言霊(ことだま)という言葉があります。自分の言った言葉には魂が宿っているということでしょうか。たとえば「いい加減に掃除しろょ」と言うのと「すみません、お掃除していただけますか」と言うのと、どちらも同じことを言っているのですが受け取り方がまったく違います。感情に憎しみを持っている言い方と、共感をもっている言い方です。当然ですが対応する態度も違ってくるというものです。
人間はみんな何らかのカタチでいろいろな人達と共存して、自分の意を伝えながら生きております。何かを伝える方も何かを伝えられる方も、見るべきところを間違えるとうまく伝わらないばかりか、誤解により脱線してしまいます
相手に何かを伝えるときは
内容よりも感情の方が
伝わってしまうのです
感情部分を無視さえすれば良いのですが、人間であるがゆえに無意識に受け入れてしまうのです。しかし感情部分を穏やかにしてやりさいすれば相手も穏やかになり、自分の伝えたいことが伝わりやすくなるのです。その穏やかになるためのクッション言葉があります。
それが魔法の言葉
「すみません」
です
すみませんはクッション言葉
相手に言いたいことを伝えるときには内容よりも感情が最優先で伝わってしまいます。間違いをしたりしたときには現実に起こったミスそのものよりも、そのときの対応の仕方、特に言葉の発し方が重要となってきます。素直に「すみません」が言えると物事がスムーズに進んでいくし、争いごとになることもぐっと少なくなってきます。物事をスムーズ進めるためにはすみませんと軽くワンクッション置いてみると良いようです。
どうもこの「すみません」が言えないばかりに、ギクシャクしてしまって損をしている人が多いいように思います。一言すみませんが言えないでストレートに「いい加減に掃除しろょ」なんて言われると、今の今やろうと手にホーキを握っていてもやりたくなくなるものです。
あるときに、掃除している人に「ここが汚れてますょ」と親切心から言ったことがあります。ところがその人はチラっと見るも指摘されたその場所は掃除しないのです。少し時間が過ぎてほとぼりが冷めたころに、さっさと掃除しておりました。親切で言ったつもりでも指摘されるとやりたくなくなるのでしょう。ましては感情が入ってしまったりすると意地でもやりたくなくなるものです。
すみませんは謝罪の言葉
すみませんはミスをしたりして相手に迷惑をかけたときなどに言う、いわゆる相手に対して謝るということを口に出していう謝罪の言葉です。間違いを犯したり誰かに迷惑をかけていればとりあえず「すみません」です。
謝罪というと何か恥ずかしいとか、負けたような感じを受けてしまいますがそんなことはありません。むしろ逆で言葉のやり取りをスムーズに進めるためのワンクッション言葉なのです。誇りがもてる大人的で知的な対応であり心がひろくなってくる言葉なのです。
すみませんが言えると
私はビデオ撮影を業としているのですが、ある神前撮影の準備をしていたときです。階級の高い神主さんが、式の準備をしているホテルの主任に対して威嚇ぎみに指摘しているのです。主任は文句も言えずに少しはぶて気味に黙っています。そのあともネチネチと言ってはいますが主任はすることだけして、黙ってこの場を去っていきました。しばらくして今度はマネージャーが入ってきたのです。
その神主さんがまた気にさわるような指摘をしているのですが、そのときのマネージャーは主任とはちょっと違っていました。神主さんの方を見てただ一言「申し訳ございません」で、あまり表情を変えずに涼しい顔をしながら、ゆっくりと落ち着いて言っておりました。もちろんそれで終わりであとのネチネチがありません。さらにすみませんの丁寧語である申し訳ございませんです・・・
恐れ入りました
思わず尊敬の念を描いて
しまいました
さすがホテルマンで、このマネージャーって「できる」と感じたのです。主任の対応とは大人と子供のような違いを感じました。それからはすごく怒って指摘している人の前で、ハッキリと「すみません」「申し訳ありません」と言葉にだしている人を見ると、うわーこの人ってできるっとか思って尊敬してしまいます。
焦点を変える
人間はだれでも間違いやミスは必ず起こします。しかも周りの人達はすべて自分の意に反しているものです。自分の意に反している人達の考えを変えることは不可能です。自分の考えを変えた方が何かと得策なのです。
ミスが起こる、周りの人達や状況などが逆らってばかりいる。このような感じているとしたら、そのように思っている自分がいるというだけなのです。ちょっとした言葉の行き違いの誤解・勘違いなどから、無意味なトラブルやギクシャクした関係になってしまいます。そこにある相手に焦点を合わせないで、先にある自分のやるべきことに、焦点を合わせるべきです。
私達の周りでも目標を見ないでまわりの人達ばかり見ている人がいます。見るべきところを間違えて、比べてみたり正しいことを貫いたりしていると、ギクシャクなってくるのです。
とりあえず「すみません」
焦点を周りの人達から自分の目標に変えて人生を過ごしていると、自然とすみませんや申し訳ありませんなどの言葉がでてくるようです。ひと言「すみません」で済むことが、それができないために誤解から、とんでもなく大きくなってくることもあるのです。
たとえ自分に非がない場合でも、相手が興奮しているわけですから、とりあえず「すみません」を言ってみるとあとあとの会話がスムーズにいきます。周囲から見ていてもこころ豊かな感じを受けてしまいます。あやまちの中で自分を正当化しようとすると、どうしても無理があります。つっ込まれて新たな火ぶたが芽生えてきます。だんだんエスカレートして険悪な雰囲気になるだけです。
素直に
「すみません」
でいいのです
感情は抑えるもの・訴えるもの
感情は抑える・見ないようにしてみる。人と接するときはこの理屈に気がつくことで、伝える方は感情部分を抑えること、受け取る方は感情部分は無視することで内容だけを受け取りさえすれば良いことなのですが・・・
・・・っということはうまく伝えるには感情に訴えればいいのでは。怒りながら言うよりも、ちょっとニッコリとかが効果ありのようです。・・・人と接するときには、ゆっくりとワンクッション置いてみる。
それが魔法の言葉
「すみません」
です
すみませんを口癖にする
すみませんを繰り返して口癖にすると、その言葉の中に感情がこもってきます。そして同じように「すみません」と言っても、言葉の中に感情が染み込んでいるので重みが違います。相手の受け取る側から見れば、たとえ無言であってもすみませんが伝わってくるのです。
私が若かりし頃に、この「すみません」というワンクッション言葉を、意識しがら過ごしてきた時期がありました。最初はちょっと抵抗感がありましたが、少しずつできるところから始めてみした。何も考えずにとりあえずやってみたのですが、一週間ぐらいすると不思議なことに何かが変ってきました。
景色が明るく
見えるのです
何となく「あれ、この雰囲気はなんなんだろう」という感じです。何故なのかは分からないなりに生活していると、だんだんと明るくなってくるのです。さらに気がついてみると、ごく自然に頭も下げるようになっておりました。
しかし気をつけなければいれないことがあります。すみませんを無意味に連発すると逆効果で、人を軽く見ているようにも感じられます。当たり前ですが日ごろから感謝と謙虚さを植えつけ、心の中から自然に湧き出るように申し訳ないという気持ちがあったうえでのクッション言葉なのです。
この「すみません」という言葉ですが、本来は謝罪につかう言葉なのですが、そのほかに感謝・依頼・謙虚など、いろいろな場面で使われているようです。長くなりましたので続きの記事にしてみました。