失敗の受け止め方

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お金がなくても幸せな人生へ!貧乏神と福の神が教える考え方

お金がなくても幸せな人生へ!貧乏神と福の神が教える考え方

【この特集のはじめに】

「なぜ、同じような状況なのに幸せそうな人と、そうでない人がいるのだろうか」
そんな素朴な疑問から、この特集は始まります。

貧乏神と福の神――
日本の昔話に登場するこの二人は、単なる縁起の良い神様と悪い神様ではありません。
実はこの物語には、**人生がうまくいく人と、そうでない人の“決定的な違い”**が、とても分かりやすく描かれています。

お金があるか、ないか。
運がいいか、悪いか。
環境に恵まれているか、いないか。

それらよりももっと根本にあるのは、
**「目の前の現実を、どう受け取って生きているか」**という視点です。

この特集記事では、貧乏神と福の神の物語を入り口にしながら、
幸せとは何か、試練とは何か、そして人生を自分の手に取り戻すための考え方を、静かにひも解いていきます。

福を追いかける生き方ではなく、
今ある人生を受け入れることで、人生そのものを福に変えていく――
そんな視点を、あなた自身の中に見つけてもらえたら幸いです。

貧乏神と福の神が教える人生観

人生はお金の量や運の良し悪しではなく、「どのように受け取るか」という考え方ひとつで、幸せにも不幸にも変わっていく。

福を追いかける人生より、今ある現実を受け入れたとき、人生は静かに、しかし確実に福へと姿を変え始める。

貧乏神と福の神は、正反対の性格を持つ姉妹として描かれています。福の神はポジティブ、貧乏神はネガティブ。しかし二人は表と裏のように常に行動を共にし、どちらか一方だけを選ぶことはできません。この昔話が教えてくれるのは、「幸せか不幸かは環境やお金の量で決まるのではなく、どのように受け取るかで決まる」という人生の本質です。

貧乏を無理に否定し福を追いかけるよりも、今ある状況を受け入れ、そこに意味を見出せたとき、人は穏やかで満たされた人生を歩み始めます。貧乏であれば貧乏を受け入れる。病気になれば病気を受け入れる。嫌な人がいれば、その存在を受け入れる。どちらを見るかを意識し、自分の考え方を観察することで、人生の見え方は大きく変わっていきます。

その小さな気づきは、やがて言葉を超えた雰囲気や佇まいとなり、オーラとして表に現れていきます。この特集記事は、福を追いかける生き方ではなく、人生を受け入れることで幸せに変えていくための視点を、貧乏神と福の神の物語を通して静かに伝えていきます。

お金がなくても幸せな人生へ!貧乏神と福の神が教える考え方

福の神と貧乏神は姉妹だった

貧乏神の反対は
金持ち神ではないのか?

そんな素朴な疑問から調べてみると、意外にも貧乏神の反対は福の神だということが分かりました。さらに調べていくと、幸せな人と不幸な人の違いを、とても分かりやすく教えてくれる昔話に出会いました。ここでは、その話を私なりに少しアレンジしてご紹介します。

ある家に、福をもたらすという気品にあふれた福の神がやって来ました。夫婦は大喜びで家の中へ招き入れます。ところがその直後、みすぼらしい身なりをした貧乏神が続いて入ってきたのです。
「貧乏神が来ると災いが起こる」
そう信じていた夫婦は驚き、慌てて追い出そうとします。

すると貧乏神はこう言いました。
「先ほど入ったのは私の姉です。私たちは常に行動を共にしています。私を追い出せば、姉も一緒に出て行きます」

その言葉どおり、貧乏神を追い出すと、福の神もまた家を去ってしまったのです。

実は、福の神と貧乏神は姉妹。
姉の福の神は吉祥天(きっしょうてん)、妹の貧乏神は黒闇天(こくあんてん)と呼ばれ、性格は正反対ですが、表と裏のように常に一緒に存在していると伝えられています。

貧乏神に感謝するという生き方

私はお金持ちではありません。いわゆる「幸せ貧乏」です。
女房と二人で仲良く暮らし、体には多少の心配ごとはあるものの、生活に大きな支障はありません。

若い頃には羽振りの良い時期もありました。しかし、もしその状態が今も続いていたら――
調子に乗りやすい私は、きっと依存症や贅沢病に陥り、最後には寝たきりになり、女房にも見放されていたと思います。不思議なことに、それだけは妙に自信があります。

実際、人生には必要に迫られるような挫折が重なりました。
遊びを控え、タバコも酒もやめ、自分にとって良くないことを一つずつ手放さざるを得ない状況が、団子のように降りかかってきたのです。今思えば、あの時期は警告であり、試練だったのでしょう。

けれど、その試練のおかげで、今は健康的な生活を送れています。
だからこそ思うのです。
あの挫折に、あの貧乏に、感謝していると。

お金がなくても幸せな人生へ!貧乏神と福の神が教える考え方

貧乏神を選んだ夫婦の幸せ

福の神と貧乏神が姉妹で一心同体だという話には、もう一つ、さらに考えさせられる物語があります。

あるところに、貧乏ながらもよく働く嫁と、真面目な夫が幸せに暮らしていました。
ある日、屋根裏からすすり泣く声が聞こえ、のぞいてみると、やせこけた貧乏神が住み着いていたのです。どうやら長い間この家で暮らしていたらしく、翌日に福の神が訪ねて来ると知り、別れを惜しんで泣いていたのです。

翌日、福の神がやって来て言いました。
「福の神が来てやったぞ。貧乏神はさっさと立ち去れ」

ところが夫婦は、見知らぬ福の神よりも、これまで一緒に暮らしてきた貧乏神を選びました。そして貧乏神と力を合わせ、福の神を追い出してしまったのです。

福の神は悲しみました。
「せっかく幸せにしてやろうと思ったのに…なぜ追い出すのか分からない」

それでも不思議なことに、その夫婦の家は貧乏なままではありましたが、毎日が楽しく、幸せな日々がいつまでも続いたといいます。

この物語が教えてくれること

福の神はポジティブ
貧乏神はネガティブ

どちらを選ぶかは
人それぞれです

貧乏であれば貧乏を受け入れる。
病気になれば病気を受け入れる。
嫌な人がいれば、その存在を受け入れる。

どちらを見るか。表を見るのか、裏を見るのか。
それに気づいたとき、人生の見え方は大きく変わります。

ほんの少し考え方が変わるだけで、人生には天地ほどの差が生まれてくるのです。
そしてその「分かった」という感覚は、やがてその人のオーラとなって表に現れていくのです。

表を見るか
裏を見るか

幸せと不幸の差は、環境ではなく「どちらを見て生きているか」によって生まれる。

貧乏でも、病気でも、人間関係でも――人生は「受け入れ方」で意味が変わっていく。

結局のところ、人生は見る人のとらえ方・考え方次第です。

〇貧乏であれば、貧乏を受け入れる。
〇病気になれば、病気を受け入れる。
〇嫌な人がいれば、その存在を受け入れる。

このように、「どちらを見ているのか」を意識して自分を観察してみると、ある気づきが生まれます。
それは、自分はいつも表ばかりを見て、裏を見ていなかったのではないかということです。

お金がなくても幸せな人生へ!貧乏神と福の神が教える考え方

人生はどちらを見るかで決まる

人生は
「何を見るか」で決まり
「何を選ぶか」で
形づくられていく

人生は考え方次第――福の神を見るか、貧乏神を見るかは、すべて自分の視点が決めている。

福の神はポジティブに物事を考え、貧乏神はネガティブに物事を考える。
この二人は、正反対の性格を持つ姉妹です。

この物語では、「福の神を取るのか、貧乏神を取るのか」という問いが投げかけられています。
しかし、長く貧乏神と付き合っていると、知らず知らずのうちに福の神を追い出してしまう。
それは一般的には「良くないこと」とされがちですが、もしそれで本人が幸せなら、無理に福の神を追いかける必要はあるのでしょうか。

馴染んでいる貧乏神を受け入れる生き方も、また一つの幸せの形なのだと、私は思うのです。

結局のところ――
人生は、見る人のとらえ方・考え方次第なのです。

「気づきは、やがてオーラになる」

自分がどちらを見ていたのかに気づいたとき、
「どう考えれば幸せになれるのか」が、少しずつ分かってきます。

人生は、
ほんの少し考え方を変えるだけで、
どちらを見るかを変えるだけで、天地ほどの差が生まれるものです。

そして――
分かった瞬間から、その気づきは
言葉ではなく、雰囲気や佇まい、つまり“オーラ”として表に現れていくのです。

わが町の金持ち神という余談

幸せは追いかけるものではなく、楽しみながら感じるものなのかもしれない。
金持ちになることより、金持ちになった気分を味わえる心が、人生を豊かにする。

ところで、貧乏神はよく耳にしますが、
「金持ち神」という存在は、あまり聞いたことがありません。

調べてみると、それらしき神社はあるものの、全国的にはあまり馴染みがないようです。
余談になりますが、私の住む町には「金持ち神」に会える場所があります。

日本に3つしかないと言われている造幣局のひとつがあるこの通りは、コイン通りと呼ばれ、その商店街の一角にある、マンションの屋上に金持ち神を祀る場所があるのです。

この場所は、広島のテレビ番組 元就 でも紹介されました。
訪れていた 田中卓志 さんが
「柏手は何回打てばいいんですか?」と尋ねると、
「何回でもいいです」と返され、場を和ませていました。

町中では黄金色の金持ちタクシーも走っております。
それに乗ると、なぜか少し金持ちになったような気分が味わえる。
そんな、肩の力が抜けるような街並みです。

お金がなくても幸せな人生へ!貧乏神と福の神が教える考え方

気づきはオーラに変わる

人生は、ほんの少しの気づきが、雰囲気や生き方そのものを変えてしまう。

分かった瞬間から、人は言葉ではなく「佇まい」で語り始める。

自分がどちらを見ていたのかに気づいたとき、
どのように考えれば幸せになれるのかが、少しずつ見えてきます。

人生は、ちょっとした考え方の違い、
どちらを見るかという選択だけで、天地ほどの差がついてくるものです。

どちらが正しいかではなく、
自分がどちらを見て、どう感じて生きているか。

それこそが、
この物語が静かに教えてくれている本当の答えなのかもしれません。

【続きの記事】

【特集記事】なぜお金と仕事がうまくいかないのか?貧乏神と福の神の人生法則

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