失敗の受け止め方

失敗は終わりではなく始まり。挫折から学び、成長につなげるための思考法と行動のヒントをお届けします。

災難続きは不運ではない!間一髪で助かる人に共通する潜在意識のメッセージ

災難続きは不運ではない!間一髪で助かる人に共通する潜在意識のメッセージ

思い起こせば私の人生は怪我や災難が多かったようです。それも少し間違えていたら、大事になってしまうようなことも多々ありました。病気の場合は自分の免疫で治すことを基本に、自分なりの方法で対処するようにしているのですが、怪我や災難に対しては入院や治療が必要なこともあり、病院のお世話になってはいますが、あくまでも自分の免疫で完治していくことを基本に考えて対処しています。

人々は「よく怪我をする」と聞くと、それを「不運」と決めつけがちです。しかし実際には、怪我や災難が多い人ほど 強運に守られているサイン を持つと言われています。私自身、小学校2年生のときに朝礼台から落下して左手を脱臼。53歳では高さ2メートルの脚立から石の上へ落下し、頭から落ちたにもかかわらず前歯3本の破損だけで済みました。69歳では真っ暗な事務所で机の角に顔を強打し、ほんの数センチずれていたら大事故だった場面でも、最も衝撃に強い歯ぐき部分に当たり、致命傷を避けることができました。

これらの出来事に共通していたのは、「最悪の事態の一歩手前で止まっている」 という事実です。落ちる角度、当たった場所、衝撃の位置など、すべてが偶然とは思えないほど「最善の場所」で止まっているのです。これは単なる不幸ではなく、まぎれもなく「不幸中の幸い」の意味を持つ強運そのものであり、危機一髪で助かる人の特徴とも言えるのです。

そして気づいたのは、災難には必ず「表と裏の二面性」があるということ。表面だけ見れば不運に見える出来事でも、その裏側には必ず「守られていた理由」「人生のサイン」が隠されています。整理整頓の甘さ、注意力の欠如、習慣の乱れなど、それらを気づかせるために、潜在意識である「もう一人の自分」がメッセージを送っているのかもしれません。

事故や怪我は、決して悪いことばかりではありません。むしろ「人生を立て直し」よりよい方向へと導くための「気づきの入口」です。あなたの身にも起きた「不幸中の幸い」は、実は強運の証拠かもしれません。

このページでは前回の怪我・病気の復歴の中から、「怪我からの復活」の記事の参考にするために3つほど選んで、少し詳しく紹介していきます。

小学2年:左手を脱臼

あの瞬間、なぜ救われた
朝礼台から落ちて
左手が肩に張り付いた日

子どもの頃の大怪我にも、後から振り返ると「強運に守られていたサイン」がはっきりと見えてくるものです。

私が最初に体験した「大きな怪我」は、小学校2年生の運動会の朝でした。
みんなで朝礼台の上ではしゃいでいたところ、仲間の一人が私を押し、勢いよく朝礼台から落下してしまいました。

落ちる瞬間、左手で支えようとしたのでしょう。強い衝撃があり、起き上がろうとしても、左手にまったく力が入らないのです。

「あれ、手がない、どこに行った?」

慌てて周囲を見回していると、仲間の一人が私の肩を指差して「そこにあるよ」と言いました。
見ると、左手の甲が左肩にぴったりくっついているのです。

右手で恐る恐る元に戻すと、じわじわと痛みが押し寄せてきました。保健室に行くと先生が来てくれたのですが、何かの拍子に手を離した瞬間、また左肩にぴたり。再び右手で戻しましたが、今度はかなりの激痛でした。

その後、近くの病院へ行くと、
「骨折ではなく関節が外れている」「元の位置に戻す必要がある」
と言われました。

先生は足を私の脇の下に入れ、くるりと回った左の腕を思い切り引っ張り、すこしづつ調整しながら関節を元の位置へ戻しました。そしてギプスで固定です。

しかし、ここからが本当に大変でした。
ギプスをしていても少しずつ関節がずれてくるため、毎日、同じように引っ張って調整するのです。
数か月続いたその治療は、痛いというより「地獄の毎日」でした。

病院の押し入れにはギブス製作に必要なノコギリや切断サンダーのような道具が見えていて、
「手を切られるのは嫌だー」
と泣いていたことを、今でもはっきり覚えています。

先生からは
「このままだと手は“くの字”に曲がったままになる」
と言われていました。

ところが、治療の途中でシーソーから落下するという、まさかの出来事が起きたのです。
それにも関わらず、なぜか腕がまっすぐ伸び、長い通院のおかげでまっすぐに伸びて奇跡的に完治しましたです。

これには先生もびっくり、親もびっくり、私自身もびっくりです。
子供の頃は深く考えていませんでしたが、数年経った大人になってから思うのです。

「本当にまっすぐ伸びてよかった。自分は強運に守られていたんだ」と。

治療にあたっていただいた先生に感謝しながら、ジワジワと自分の強運の強さを感じてきたのです。

53才:キャタツから石の上に落下

たった数ミリの奇跡
石の上に頭から落ちたのに
「前歯3本だけ」
で済んだ理由

危機一髪で助かるとき、人は無意識に「最善の場所」へ導かれるという不思議な現象が起きます。

庭の剪定をしていたときのことです。
高さ2メートルほどのキャタツに乗って作業をしていたのですが、足を滑らせてそのまま下へ落下。しかも、落ちた先には大きな石がたくさんありました。

瞬間でしたが、頭から落ちたために顔面を強打。相手が石なので何等かの陥没必死でありました。ところが強く打ったのは、前歯から左側にかけての3本だけ。
上の歯だけが折れ、下の歯はまったく無事。口腔内にも影響はありませんでした。

もちろん前歯3本が破損したのはショックです。しかし、落ちた場所を冷静に考えてみると、これ以上ないほど「最善の場所」を打っていたことに気づいたのです。

もし強打した位置がもう数ミリ上にずれていたら、
相手は石ですから、鼻から口腔にかけて骨が陥没していた可能性があります。
つまり、鼻の下あたりがぐしゃっと潰れていたかもしれないのです。

逆に、あと数ミリ下にずれて顎を打っていたら。
上下の歯がまとめて破損し、さらに顎が陥没して顔面が大きく変形していたかもしれません。

それを考えると、
「前歯3本だけで済んだ」ことが、どれほど奇跡的だったことか、身にしみて分かってきました。

石という硬い相手に対して、ほんの数ミリの差で最少の被害に収まったこと。
日常生活には今もまったく支障がないこと。
そのすべてが、運に守られていたとしか思えません。

当時も、
「ついていない事故」ではなく、
「最善の場所に当たってくれたラッキーな事故」
としか感じなかったのです。

普通なら「ついていない日」と片付けてしまいがちですが、実際にはどちらも
「致命傷を避けた強運が働いた日」
だったのだと思います。

奇跡に近い幸運に、今でも感謝の気持ちが湧いてきます。

よく怪我をする人は幸運に恵まれている!怪我からの復活に必要とされている幸運に感謝(2)

69才:暗闇で顔面強打

ここを打っていたら
人生が変わっていた
真っ暗な事務所で
机の角に顔面強打した夜

災難続きに見える出来事ほど、実は致命傷を避ける「人生のサイン」として現れることがあります。

ある日の早朝、事務所のソファーでうたた寝をしていた私は、そのまま深く眠り込んでしまいました。明け方前、トイレに行って部屋へ戻ったのですが、室内は真っ暗な為に足がつまずき、その勢いのまま机の角に鼻の下あたりを思い切り強打してしまったのです。

かなり激しくぶつかったにもかかわらず、不思議と強い痛みも違和感もありませんでした。しばらくその場でじっとしていましたが、特に異常もなかったため、そのまま再び眠りました。

翌朝になっても、気になるのは「ぐつぐつする違和感」程度。
しかし、冷静に振り返ると、打った場所が奇跡的に「最善」だったことに気が付いたのです。

もし、あの衝撃が数センチ上にずれていれば——
鼻の頭から口腔にかけての柔らかい部分に直撃。骨の陥没や鼻の破損の可能性が充分にありました。

もし 数センチ下なら——
前歯や歯ぐきの弱い部分を打ち、折れたり、めり込んだりして、間違いなく救急車を呼ぶ事態になっていたでしょう。

ところが実際にぶつかったのは、顔の中でも最も強い「硬い歯ぐき部分」
強打しても致命傷にならず、日常生活にもまったく支障がありませんでした。

つまり、
最悪の事故になっていてもおかしくなかったところを、最小限の被害で済んだ
というわけです。

不運を嘆くどころか、むしろ
「よくこの場所に当たってくれた」
という「不幸中の幸い=強運の流れ」を感じずにはいられません。

数年前の石の上に落下事故も、そして今日の事故も、いずれも突然の出来事でした。
改めて、「奇跡に近い幸運」に感謝です。

災難続きは不運ではない!間一髪で助かる人に共通する潜在意識のメッセージ

人生の裏側にある気づきと二面性

不運の裏に必ずあるもの
災難は
「悪い出来事」ではなく

「サイン」としてやってくる

どんな不運にも必ず「良い面と悪い面の二面性」があり、意味を理解すれば災難は気づきへと変わります。

もし「石の上に落下」と「暗闇で顔面強打」の打った場所が逆だったら、この数センチの違いでどちらも救急車がらみの大打撃を受けており、おそらく顔かたちは変わっており、今の自分ではなかったです。何の目標もなくダラダラと過ごしていたカモ、いやいや自分なりの信念で生きていたとは思いますが、自由度がかなり違いますです。

紹介しました二つの事故経験は、どちらも「部屋内の足元などの整頓をしていれば」「キャタツをしっかりとして居れば」っという反省はありましたけど、それよりも感謝感謝でしかありませんです。こうして考えてみると、私の人生はケガが非常に多いい割に、すべてが致命傷から間一髪で外れていたのです。

まさに奇跡的な回復と間一髪の幸運に守られてきた人生です。これまでの数々の怪我や病気も、振り返れば「怪我からの復活」を支える学びでした。今はただ「生かされていること」への感謝の気持ちを忘れず、前向きに生きることの大切さを実感しています。

こうして元気に、しかも自由に動けることができるのも「あなたは、まだこの世が必要としているのですょ」「その為に動きなさい、条件はそろっていのですょ」っと、誰かに言われているような気がします。

ひょっとして、コレって
「もう一人の自分」
からのメッセージ

そのように思えてなりません。

よく怪我をする人は幸運に恵まれている!怪我からの復活に必要とされている幸運に感謝(2)

表があれば必ず裏がある

人生の出来事には
必ず「表と裏の二面性」がある

今回の書き込みで何が言いたいのかというと、悪いことが起こったときには、必ず良いことも潜んでいるというなのです。そして逆を見てみれば、良いことが起こったときには必ず悪いことが潜んでいるのです。私の場合も過ぎ去ってみればですが怪我よりも間一髪の幸運に感謝なのです。

怪我をしたという「表側」だけを見ると、不運にしか見えません。
しかし裏側を見れば、
「もっと大きな事故を避けられた」
「致命傷から守られた」
「気づくべきことがあった」
といった、必ず「別の意味」が存在するのです。

見えない裏にある悪い方を見て嘆く良い方を見て悟るかの、どちらを見るか。見る方向を変えるだけで良いのです。このことを頭に入れて毎日の生活に生かしていけば、自然と良い方向へ進んでいきどうすればいのかを感じるようになっていくのだと、書き込みながら思っております。

人生すべて二面性

良いことと悪いことは
同時にやってくる

人生とはそんなもの

さらに怪我だけでなくて何か問題が起きたときも同じ理屈なのです。「あなたにはいま足らないところがあって、起こっているのです」という小さなサインで、自分の欠点を知らせてくれているのです。

「うーーむ、整理整頓をしろということか」「キャタツをちゃんと固定しろということか」まずは足元をしっかり見なさいということですね。当たり前のことですが言われてみればまったくその通りです。

ダラダラと書き込んで長くなりましたが、このように考えている人もいるっということです。参考にしていただければっという願いから、このブログ人生は思い通りに変えることができるを立ち上げたという感じもします。

今までは私の「怪我・病気」を紹介してきましたが、次からはこの記事から得た教訓を書き込んで参ります。

【続きの記事】

【教訓】

〇「不幸中の幸いの意味」に気づくと、人生は変わる
私の事故を思い返せば、どれも「悪いことが起きたように見えて、実は救われていた。」そんな出来事ばかりでした。しかし考えてみればどれも、最悪の事態の手前で止められていたことの方に目が行くのです。 つまり、「不幸中の幸い」こそが、強運に守られているサインだったのです。不運に見えても、実際には「守られながら、何かを知らせるために起きている」そう考えると、人生の見え方は驚くほど変わります。

〇なぜ事故は続くのか?それは「人生のサイン」だから
災難が続くとき、多くの人は「流れが悪い」と思います。でも本当は災難続きには 原因 があり、そこには 人生のサイン が隠れています。私の場合で言えば、「整理整頓をしなさい」「キャタツをしっかり固定しなさい」という“足元を見直せ”というサインでした。人生に起きる問題や怪我には、自分の欠点を気づかせるメッセージ が込められています。

〇良い方向へ進む人は「裏側を見る習慣」を持っている
何か問題が起きたとき、表だけを見る人・裏側を見る人とでは、人生の流れはまったく違ってきます。

〇もう一人の自分からのメッセージ
間一髪で助かる体験は、潜在意識が送る「もう一人の自分からのメッセージ」に気づく絶好のチャンスです。

〇「もう一人の自分」は、危険を通して「気づき」を与えてくれる
事故や怪我は、痛みを伴うだけではありません。その裏には、人生を良い方向へ戻すためのサインが隠れています。

〇人生を変えたい人ほど、このサインに敏感になるべき
人生のサインに気づく方法を身につけることが重要です。大切なのは、裏側を見る習慣です。

〇本当に強運な人は「不幸中の幸い」を見逃さない
強運な人は、幸運な出来事に恵まれているのではありません。あなたがもし、「最近うまくいかない」「小さなトラブルが続く」と思っているなら、それは不運ではなく、「あなたを守るためのメッセージ」かもしれません。

私がこうして元気で自由に生きられているのは、間違いなく「強運に守られてきた」からです。 そしてその強運は、偶然ではなく「もう一人の自分」からのメッセージに気づけるよう、何度も何度も私を導いてくれた結果なのです。だから今日も、どんな出来事が起きても「これはサインだ」と素直に受け取ることを大切にしています。

【特集記事】「怪我が多い」を運命からのメッセージに変える保険会社も教えない真実

関連記事一覧