貧乏に感謝!金持ち思考・貧乏思考・幸せ思考

貧乏に感謝!金持ち思考・貧乏思考・幸せ思考

自分は大金をコントロールできる器ではないことに気づいたときから、どうすれば良いのかが分かってきます。いきなり裕福になると、今までの自分のままの器ではコントロールできずに、裕福どころか逆にパニックになってしまうのです。いきなりの大金が入ったゆえに不幸になる人は、たくさんいるのです。

ちょっと大当たりしてギャンブルに狂ったり、ちょっと飲んだおかげてアル中になったり、そしてタバコ・パチンコなど身近にもたくさんいることもご存じの通りです。裕福になっても、誘惑や贅沢にもブレない器ができあがれば、お金の方からやってくるのです。

闇雲に努力してお金を稼ぐよりもお金が入ってきたときに、お金の使い方をコントロールできる器つくりを考える方が先決なのです。

なぜ裕福にならないのか

国民全員が裕福になるのは不可能

お金持ちの人と貧乏な人がいて
庶民が暮らし易い国に
何故ならないのでしょうか

暮らし易いとはどういうことなのでしょうか。お金がたくさんあって好きなことができて、毎日おもしろおかしく暮らせることでしょうか。たちまち贅沢病になってしまいます。働くことは良いけどあくせくはいやだ。もう少しお金さえあれば働ぎ甲斐もあるし、自分の能力が発揮できる。あくせく働いていては自分を見失ってしまう。確かに私もこんな疑問をもっていた時期がありましたが、あるときから考え方が変わってきたのです。

今いる現実は良いも悪いも自分の歩んできた道。どんなに悪いことでも必ず良い面が隠されています。貧乏であるが故に食事も酒タバコもセーブしたり、うまく生きて行かれるように調整してくれております。いたって健康だし生活だって何をするにも不自由なくできます。そのように考えてからは、良いことばかり起こってくるような気がします。

もちろん貧乏に感謝です

貧乏に感謝!金持ち思考・貧乏思考・幸せ思考

生活のバランスをとる為の調整

庶民が暮らしよい国にならないのはなぜか。さあ何故なのでしょうか、この理屈を分かりやすく説明するために、わたくし流でちょっと逆から考えてみました。仮にみんなが一億円もって裕福だとします・国民みんなが大金持ちです・ちょっと想像してみて下さい・今の世の中とは全く違った、不思議な世の中になってしまうとは思わないですか、国民みんなが大金持ちで裕福だとしたら、誰も働かないで自由気ままに生活するはずです。

工場などで働く人もいませんし商店なども半減していきます。勿論バスも電車も動きませんしクルマの製造なども止まってしまいます。どこへ行くにも何をするにも誰も働かないのですから、移動すらできないのです。社会そのものが成り立ちませんし、さらには贅沢病にかかってしまって社会どころか、自分の体さえも動かなくなってしまいます。

国民みんなか裕福なゆえの総ダラダラで、何が何やら分からないようになってしまいます。大多数の人達はいいなり生活でないと、この世は成り立たないのです。これは自然のオキテ・団体生活のオキテなのです。生活のバランスをとる為の調整をしないといけないのです。みんなが裕福になるということはあり得ないことなのです。

人生すべて二面性良いことと悪いことは同時にやってきているのです。庶民が暮らし易い国とは、裕福にならない裏に成り立っているわけです。

社会を成り立たせるため

「いやいや、私はたとえお金持ちになっても、今までと同じように働くし贅沢なんてしないです」っと言われても、人間は基本的に怠けものなのです。辛いことがあるから楽しいことが楽しめるのです。毎日楽しことばかりだったら、楽しいことが分からなくてつまらないです。本当に楽しむためには辛いことが必要なのです。

楽しむためには
あくせく働くこと
が必要なのです

国はみんながダラダラしないように、そのために裕福にならないようにいろいろなことで国民に無理難題を押しつけざるをえないのです。また生活のバランスをとる為にも調整しようとする力が働いてくるのです。社会を成り立てるための手段で、いやでも働くようにしてくれているのです。なんだか不安な言葉から並べてみましたが、このように考えてみると妙に納得したりします。

貧乏に感謝!金持ち思考・貧乏思考・幸せ思考

自分の器を広げる

あるときから考え方を変えたのは、私は大金をコントロールできる器ではないことに気づいたからです。何度も裕福になった時期もありました。浪費などはしていませんでしたが、なぜか裕福にはならなかったのです。裕福になれば怠けてしまって・浪費・贅沢病・何かの遊び症候群・家庭崩壊などが目に浮かびます。今とは全く無縁の老人の引きこもり人生になっていたと思います。

私には大金を持つことはふさわしくない、ということなのでしょう。きっと福の神が「自重するように」っと、声をかけてくれていたのだと思います。人間はもろいもので、何でも手に入って・何でも好きなことができれば、どうしても怠けてしまいます。だから贅沢病など体のバランスが崩れないように、調整してくれているのです。

裕福にならなくてもそれで良し

このように書き込んではいるものの、私も欲しい物を買いたい方なのです。いざ現実に大金が入ってくればおそらく絶対に、「ちょっとだけ」とか言いながらズルズルと使い込んでしまうでしょう。だから欲は出さずに今を幸せに生きております。裕福になればそれで良し、裕福にならなくてもそれでも良しです。神様が怠け者になって贅沢病や家庭崩壊にならないように、お金が入らないようにしてくれているのです。マジで貧乏ながら笑顔であくせくと働ける毎日を送っていられる。そのことに感謝をしております。

お金持ち・地位・幸せ

このすべてを得ようとすることは難しいです。お金や地位で得た人はお金や地位で苦んでおり、幸せは長くは続いていかないような気がします。しかし幸せ思考で得た幸せは長く続いているようです。

幸せ思考
があってもいいような気がします

【特集記事】貧乏に感謝

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