とりあえずやってみる!理解するには分かろうと思わずに感じること
ずいぶん昔バソコンを試行錯誤していたころの話になります。バソコンって、ものすごく頭の良い大天才の子供を、手なずけているような感じがしていたことがあります。すばらしい能力をもっているのに指示だけはしてやらなくてはいけない。それもうまく指示してやらないでちょっとモタモタしていると、すぐにハブててしまって動いてくれない。「んなろーっ」とかにらみつけても無視してるのだから、機嫌を取りながらしてやるしかない、まるで大天才の子供を育てているようだ。
便利なアプリケーションという道具を与えても、うまく馴染ませてやらないとすぐにはぶててしまう。機嫌をとりながらうまくセットしてやると機嫌よく動いてくれる。ホームページだって何で<HEAD><BODY>に分かれているのとか思うも、考えてみると頭と体のことですょね。表面に現れない「頭」で考えて体で表現しなさいと理解したりして。
理屈や手順など「仕組み」を理解する事にまずは重点を置いてみたりして、ひょいっとうまく出来た時など「じゃあ、こうすれば、どーなるのカナ」っとか、イロイロと試しているのだから出来上がるのが亀のように遅い。
わたくし流ですが分からんなりに、分かったように振る舞うとなんとなく分かったつもりになって、いつしか自然に分かってくる。このように分かったぶりして、知ったげにしていると何だか知ってるような気がしてくる。そしてある時に同じ文面を見ても「そういうことだったのか」と急に理解できることがある。分からないなりに続けていたというこんな時代がありました。
分からないからと言って
立ち止まらないで
どんどん進んだほうが良い
こんなことを感じていたのです
ホームページが理解できました
そのころの話になりますが、ホームページを作りたくて悪戦苦闘していたことがあります。いくら本を読んでも、ホームページビルダーで作ろうとしたも、どうしても分らなくて理解もできずに、何ども挫折を繰り返しておりました。諦めかけていたころに、ホームページ作りを説明しているページが目に入ってきました。
タグを見ただけでめんどう
突然、何の説明もなく次のような簡単なタグが書いてありました。
<html>
<head>
<title>私のホームページです</title>
</head>
<body>私のホームページです
</body>
</html>
何度も見ておりもう見あきた文字です。「なんだ相変わらず同じような難しいことが書いてあるなぁ」「訳わからんぞ」っとか思いながらぼんやりとながめておりました。
まずタグを書いてみました
そしていきなり
「何も考えずに、メモ帳に同じように書いてみて下さい」とあります。
「フムフム、同じことを書くだけならできるけど」「っまぁちょっと書いてみるか」
っで、言われるままに長々と書き込んでみましたです。
「ふーっとりあえず、できたけど」すると
「次に保管場所を決めて、すべてのファイルを選んでindex.htmlで保管してみて下さい」っとある。
「まぁ、しかし相変わらず面倒だね」
「とりあえず保管場所をつくってか、よー分からんが、i・n・d・e・xっと、これで良いんかいな」プチ
「っん、なんか表示が今までと違うみたいだけど」
「今度はそれを開いてみて下さい」とある
エディタ機能を理解
「ああ、開くのね」プチあれー、あんなにごちゃごちゃ書いたのに、標示されたのは「私のホームページです」っという、たったこれだけかいな。「なんじゃコリャ」っと思っていると、標示されたのを確認してから「これはこういうことなんですょ」とタグの説明などしており、すごく分かりやすくて「なるほどです」ちょっと理解できましたです。
「うーーむ、何となく分かってきましたような気がするな、フムフム、だっだからー」
「次に、ようこそ<br>と書いて上書き保存して閉じてください」
「ふーっ今度は<br>かいな」プチ。やはり言われるがままに書き、上書き保存してまた表示してみます。
「段差ができたはずです」とある
「うんうん、できたできた」
同じように「それでは<b>で囲ってください」
「あれ、ホントだ大きい文字になってる」
ホームページができました
「<center>で囲って下さい」「<font>で囲って下さい」進んでいくごとに、中央・色つけ、と変化していきます。その調子で言われるがままに次々と書こ込んでいくと、ナント簡単なホームページができてしまいました。つまりすべてに出来てからタグの説明をしているのです。自分で実現できてから説明を聞くと理解ができるようです。
調子に乗ってつぎつぎと書いていくと段々と良い感じで、ホームページが出来ていくではありませんか。「うーーむ、なーんだこういうことだったのか」っで、リンクやテーブルができたときはボロリと目からウロコが落ち、自分にとっては最高の黒船到来でした。「こ、これは面白い」そこから火がついてからは自分でいろいろと調べてまくっては、ホームページ作りにハマりこんでしまったというわけです。
とりあえずやってみる
今まであれだけ本を読んでも理解ができなかったのに、分かってきたところで同じ本を読んでみると実によく分かるのです。いくら本を読んでも最初の一歩を実際に出来てみないとダメなんですね。っとうより理解するには出来てみることが必要なのです。
とりあえず
簡単な「一言ホームページ」
を作ってみる
出来あがってから同じ説明を見ると、すごく理解できるという、貴重なページにたどり着いたことに感謝です。
第一歩を踏み出そうにも、腰が重くてなかなか始める事ができないっということは、頭の中であれこれ考えているからではないのかな。ひょっとすると理解しようとすることを、意識しているのではないのかな。いきなり理解しようとするよりも、とりあえず何らかのアクションを起こして、実際に出来て体で感じるようにした方が良いようです。分からないなりにとりあえずやってみる。分かろうと思わずに感じることにあるのだと思ったのです。
第一歩を踏み出すためには
パソコンに限らず、なかなか始めることが出来ない第一歩を踏み出すためには、自分がやろうと思ったことはアレコレ考えるよりも、とりあえず何らかのアクションを起こして分からないなりにちょっとやってみることではないかと思います。
最初の第一歩は
何も考えずに気負わずに
やってみる
しかも、このちょっと
が長続きするようです
ちょっとが良いようです
近所のお手伝いをちょっとした為に一生の仕事になったり、ちょっと飲んだおかげでアル中になったり、ちょっと横になったりするとトタンに眠くなり、そのまま朝までになっちゃう。っとか、良いことも悪いことも、この「ちょっと」から始まっていることに気がつきます。
10階建てのビルに登るには一気に登ろうとしないで、とりあえず「うーん、ちょっと上ってみるか」っで、まずは目の前にある一段を上ってみる。一段目に立ってみてそこから次が始まり、気がついていたら屋上までたどり着いていた。
一番上の屋上には
自分の夢が待っている
をイメージしながら
今見えている
目の前の一歩を
踏み出してみる
ちょっとから勢いがついてくる
私がホームページを理解できたのも「フムフム」で軽く一歩を出し徐々に勢いがついてきて、あるページがヒントになって分かってきたのです。じつわ、このページは何度も見て知ってはいたのです。今までに理解できなかったのは自分に受け入れるだけの力量、つまり器が未完成だったのです。
同じものを見てチャンスだと捉えられるように、分かろうとしながら階段を一歩づつ上って行くと器が広くなってくるのです。実際に一段昇ってみると次に行ってみたくなりますし、今度はそんなに時間がかからないです。だんだんと勢いがついてくるからです。
階段を上っていなければそのページを見たとしても「分からないや」っで、いつものようにスルーしていたと思います。試行錯誤しながら自分の器の中に受け入れ準備ができたところへ、チャンスがきたので理解できたのです。
やりたいことなどすべては
このちょっとからを意識して
始めてみるのが良い
のではないのかな
と感じました
ちょっとの重大さ
物事の始まりは
このちょっとから
始まっているのです
人に何か頼まれたりしたときに「ちょっと待ってくれ」とか「ちょっと行ってくる」とか 瞬間的に動くときに、なぜかこの「ちょっと」という言葉を反射的に使っています。何気なく無意識に使っている、この「ちょっと」という言葉には、人間が無意識に動いてしまうという重大な意味が込められているのです。
静止しているものを動かす時は、初めには膨大なエネルギーを必要としますけど、一旦動いてしまえば後は軽く押しただけで加速していきます。何か始めようと目的を見つけた時に、まず最初の一歩さえ出しさえすれば良いのです。
最初はちょっと動けばよし
最初にちょっと
うーーん、よいしょ
と動かしてみるのです
後はだんだんと加速していく
ということなのです
しかし、この一歩がなかなか出ないのは今までの出来事と思い込みから、経験のない未知の世界なものだから不安が先に立ってなかなか出ないのです。この最初の一歩を動かすのに人間であるが故に膨大なエネルギーを必要とするのです。だからあまり深く考えないでちょっとを意識してとりあえず軽く一歩を踏み出します。
実際にやってみると
意外と簡単だったりして
良いことも悪いことも
この「ちょっと」から
始まっているようです